シンプルライフへの遠い道

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ペットの死、その悲しみを超えて  石井万寿美著

著者は獣医さん。内容は書名そのままです。
ご自身の飼い犬ユキチの死を通じて考えたことや、臨床現場で見てきたペットたちの死と飼い主さんたちについて。

わんこロスが和らぐ気配もないので読んでみました。
2002年の本なので、今の獣医療現場とは微妙に違うのかもしれませんが、あまり変わっていないのかもしれません。

印象に残ったのは、
・獣医師としてみてきた死と、自分の愛犬を失くすのでは全く違う
・ペットの終末期の対応について


死には三種類あって、
一人称の死  自分自身の死

二人称の死  あなたの死。大事な人やペット、場合によっては愛着のあるものごとの喪失。

三人称の死  誰かの死? 自分とはあまりかかわりのない人の死や喪失を見聞きしても、
          その時心を揺さぶられても、そのせいで何日も泣き暮らしたりはしないことが
          ほとんど。
          分かりやすく言うと「他人事の死・喪失」

著者は愛犬を失うまで、患畜の死はどこか三人称の死だったのが、愛犬の死後は飼い主の喪失感を考えたりするようになり、2.5人称の死になったのかな・・・と感じました。

人と話していても、ペットを可愛がったことがない人は、「三人称の死として話しているな」と感じ、ペットを大事にしていた人は「2.5人称の死として話してくれているな」と感じます。言葉にしなくても、ベースにある思いが通じている感じがします。

私の場合、わんこの喪失は、二人称の死~1・8人称の死、くらいなのかも。
自分とわんこの境界をあいまいにしているとも言えますが・・・わんこは話さないので、気持ちも想像するしかないから、のめりこむと境界がぼやけて余計そうなってしまうのですが・・・。



ペットの終末期について・・・
獣医さんは経験上、残された時間が大体分かることも多いけど、それを飼い主に告げるかは迷うところだそうです。
わんこの看取りを思い出すと、癌は縮小傾向だったのに、最期の2か月くらいは段々貧血になってきて、一か月前には食も細くなってきて・・・獣医さんには旅立ちがいよいよ近づいていると分かっていたのかな、と思います。
じゃあ、獣医さん側から言ってもらいたかったか? というと微妙。

自分でもうすうす感じてはいたけれど、それでももう一つ季節を超えてほしい、奇跡が起きてほしいと祈るように日々過ごしているのに、「いよいよ旅立ちの準備に入った感じですよ」なんて宣告は聞きたくなかった。

望みがある前提で、あれこれ検査を続けたのは、結果的にわんこに負担をかけただけだったんじゃないか、やらない方が良かったんじゃないか、という後悔もあります。

自分から聞けばよかったな、と思う。怖くて聞けなかったけど。
聞いたら聞いたで、確かに検査などわんこの負担になることはしなかっただろうけど、私が余計めそめそしてわんこの心には悪影響だったかもしれない―。

次にわんこを迎えたら、その子の旅立ち前には、この経験を活かしてより良い「旅立ち準備の寄り添い」ができたら、と思います。