シンプルライフへの遠い道

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家族の違和感 親子の違和感  春日武彦著

副題:精神科医が読み解く「幸・不幸」

精神科医として働く中で、精神を病んだり、問題を抱えている人だけにスポットライトを当てても解決・回復にはつながりにくく、家族を一つのユニットとして捉え、アプローチしていくことが必要、と感じているそうで、その家族関係について書かれた本。

無意識でやっていることを本人に語らせることは、どんなに聞く技術があっても殆ど不可能だから、精神科領域は底がないなぁ、でも、そこが面白いな、と思いながら読みました。



臨床医の立場で見ると、中高生はまだまだ精神的には成長期で、自分の気持ちをうまく言葉で表現することが難しいことが多く、大人があれこれ聞いても、「別に」「うざい」となってしまうのだそうで。
そうか、じゃあ、そういう未発達の時期に、母親の愚痴の聞き役にさせられて、
「あんたしか言う人がいないから」
で済まされていた私は何だったんだろう・・・。
ああいったことの積み重ねの日々を経て、自分がACになってしまったのも、仕方のないことだったんだなぁ、と思いました。


哀しくなった「一般論」
-----------引用-------------
一般論として言えば、苦しんでいる者や追いつめられた人間にとって、家族は最後のより所となるだろう。損得勘定抜きの手助け、無償の愛、包容力の深さといったものは、家族でなければ期待できない。
---------引用終わり------------

先月の傾聴セミナーで、「親(実家)というよりどころ、セイフティ―ネットのない、心もとなさでどうやって過ごしてきたんだろうと思った。」という感じのことを、他の受講生に言われました。
今では、「拠り所になってくれなくていいから、憑りついて利用するのは止めてくれ、「困った時はいつでも相談しなさい」と言いながら、いざとなると見捨てるのは・・・うそを言うのは止めてくれ、私の人生から消えてくれ」ですからね・・・。
自分と似た境遇の人は大勢いるし、頼りあえる家族でも、死別したりして今は一人、という人も大勢いるし、結局人は独り・・・だとは分かってはいても、多くの人には「当然のようにあるもの」が自分にはないということが、寂しくなります。こういう文に触れたりすると。

この手の本を読むと、自分の親子関係やら、自分の内面やらを掘ってしまいます。
自分の老い先や死生観について考えたり、自分が利用できそうな社会制度の情報にアンテナを張るようになったりしたし、最近はやっと割り切れてきたので、親の老い先や葬儀関係にも関わらないで流せそうな手ごたえも感じられるようになってきました。
そういうメリットに目を向けて、あまり突き詰めずにゆるゆる生きていくのがいいんだろうなぁ、とは思いながら、やっぱり哀しくなったら、哀しんでいようとも思いました。