シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

親の家を片づけながら  リディア・フレム著

両親の死後、両親の住まいを空にするため、遺品整理をする娘の気持ちをつづった本。(片付け本ではないです)
私は両親にわだかまりがあり、それを今解決することは諦めているため、両親の死の前後は、心理的にしんどくなるだろうな~と予想しています。その参考になるかと読みました。

他の本でも、「親が死ぬと過去を喪う」とありましたが、著者は「・・・両親を墓の中に横たえるのが、子供の頃の自分を一緒に埋めるということだ。 親の死はまさに、親と子を同時に葬る儀式なのだ。」と言っています。

この言葉は、私には、大きな喪失の予告のようでもあり、解放への希望でもあります。
親と一緒に、子供時代のあの辛い、胸を塞ぐ気持ちも墓に入れてしまえるのなら、自分の一部を葬ること自体が辛くても、その先には解放と安堵があるでしょう。


著者の両親はホロコーストを生き延びた人たちで、著者は、両親がその体験を自分に話してくれなかったことなど、いくつか心に引っかかっていることがあるようでした。
遺品の中には、その体験に関するものもあり、「親が私に語ろうとしなかったことを、私が勝手に暴いていいのだろうか?」と迷ったり・・・・
一つずつ丁寧に見直していこうと思う時期もあれば、面倒で、全部捨ててしまおう! と思う時期もあり・・・いろいろな思い出がよみがえり、自分の感情を突きつけられる、遺品整理はかなりしんどい作業だというのは、こういうところにあるのかな、と思いました。
親の遺品整理に疲れ果てたから、家族に同じ思いをさせたくないと身辺整理を始める人が多いと聞きます。

遺品が少なければ、気持ちは楽かといえば、著者によると、そうでもないようです。
遺品整理を自分でやっても、業者に任せても、あるいは、故人が遺品を残さず亡くなっても、形は違えど超えていかなくてはいけない「喪の作業」があると言っています。
(遺品が多すぎると、その処理にエネルギーを取られて、喪の作業が進まなくなりそうですけど・・・)



私が両親を亡くしたら、私が体験するしかない「喪の作業」があるんだろう、ということは分かりました。
今はそれで十分です。
その内容まで思いを巡らしても時間の無駄ですから。
ただその先に、「解放がある」と信じたいです。