シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ACからの回復 一歩前進?

ACな自分からの回復は、行きつ戻りつなので、今の感覚が続くかは分かりません。

先週親と再会し、

父親に対しては、
「この人とはどうあがいてもコミュニケーションが成立しないし、
 この人は現実の見たいところしか見ない性格が”病的な領域”に達しているので、ダメだ。」
                                   を再確認して、また距離がひらきました。

ここまで現実から目を逸らして、ファンタジーの中にいないと、生きていけないほど辛いことがあるのだろうと思います。
気の毒には思いますが、関わる気はありません。
私はそんなに強くない。
それに、彼は自分が未解決の大きな問題を抱えていること自体認めない(自分は正しく、子どもがおかしい。和解=以前の関係に戻ること、という立ち位置から全くブレなし)ので、私が現実を見据えた先にある心の平安に向かって、一緒に歩みませんか?と寄り添っても、無駄。


母親に対しては、
やっと境界線がはっきり引けて、「他人」になった感じ。
彼女を幸せにしなくては!という呪いからは(少なくとも現時点では)解放されています。
その代り、「私にどうしろっていうの!!」という熱い反発も影をひそめ、かつては親しかったけど、今は遠く離れてしまった人を、冷静に眺めている感じです。

本人は、本人の判断で、好きに生きているんだ、だから、その結果は彼女が引き受けるのが妥当で私には全く責任はない、と改めて感じる話がありました。

10年くらい前に、「緑内障の疑いあり。要経過観察」と言われたと聞いていましたが、眼科には行っていないそうです。3か月に一度の受診が面倒だから、自分で視界が欠けていないかチェックしている、とのこと。
視界が欠け始めてからだと、生活の質は下がるし、視力・聴力の低下は外界からの刺激が減るため、認知症の誘発因子だよ?
それに、視界が欠け始めてから、失明の恐怖を抱えて生きるのと、年1回でも検診を受けるのと、あなたの性格からいって、どっちが苦痛が少ないんでしょうね? 
と思いました。心配性で、ストレス源にこだわる性格の母親(私もこの性格(^_^;))、定期検診の方がマシだと思います。
でも、彼女の人生ですから。
介護に関わる気なら、「失明したら、私たちもすごく困るんだよ。”できるだけ子供に迷惑かけない”が本気なら、眼科に行って。」と言いますが、関わらないので、彼女の自由意思を尊重します。
安定剤が手放せないだの、認知症が心配だの、要介護になったらどうしようだの、あれこれ言う割には、当然と言えば当然ですが、自分で決めて、好きに生きているんだな~ と思いました。
(膝痛予防の体操はまじめにやっているらしい)


この感覚が一週間以上続いていて、あれほど追い払おうとしても、親のことが頭に浮かんでいたのに、回数も格段に減りました。
再会前の1割くらいかな?

この状態が続きますように。