シンプルライフへの遠い道

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子ども虐待  西澤哲著

著者のNHKの虐待を取り上げた番組での話がとても聞きやすく、腑に落ちたので著書を読んでみたくなりました。
この本を開いて分かったのですが、私がACだと気付かせてくれたのが、西澤哲さんの著書だったのです。
一周まわって、この人のところに戻ってきたようで、縁を感じました。


虐待の定義が、すごく、上手い。
虐待に関心があまりない人にこそ知ってほしい。
「親などの保護者がその親権を乱用し、子どもの存在やその関係を利用して自分自身の欲求や要求の充足につながるような行為をなすこと」

子ども虐待で言う乱用とは・・・
「子どもの存在あるいは子どもとの関係を利用して、自分の抱える心理・精神的問題を緩和・軽減すること」

子育ては、保護者が制限する必要があることも沢山あるが、基本は子供の要求を保護者が叶えることだが、虐待では、子どもとの関係の基礎が保護者側の要求や欲求になっている。
                                             ・・・・・・・・・などなど。

同じ親の干渉でも、ベースに「子供に幸せになってほしい、子どもに満足・納得してほしい」があれば、言い方も違ってくるだろうし、親と子供の希望が違った場合、「話し合って妥協点を探す、なぜそう思うのかをお互い話して、一つの結論を出す努力をする」などのアプローチが出てくると思います。

少なくとも私の親は、子どもの反論なんて聞かない(スルーする)か、馬鹿扱いして却下、が多かったです。
親子喧嘩はあまりなかったのですが、それは単に私が親に合わせていただけ。
どうせ自分の希望は通らないし、馬鹿にされ、嘲られるおまけがつくなら、最初からあきらめて親に合わせた方が楽だし安全だから。
今だから、こうして言葉で表現できるのですが、無意識の反応でやっていたので、だんだん自分が何かわからないような、変な感覚が付きまとうようになったようです。


親の健康的な愛を感じて育った人は、虐待を受けて育った人が親の文句を言うのを、
「ベースには親の愛がある(はず)なのに、それに目を向けず何を言っているんだか・・・」
になりがちです。
そのベースがないことが、少なくとも私にとっては、苦しみの根源なのです。



トラウマからの回復とは何か、を扱った部分もあります。
乱暴にまとめると、辛い経験が「過去のこと」になること、のようですが・・・自分が親のことを「過去のこと」に出来ているのか、正直分かりません。

こだわって、ここでもあれこれ書いているのは、単に、「絶縁したとはいえ、どちらかが死ぬまで縁が切れない or 要介護になったら支援を要求されそうだと私は疑っている」=「今後起こりうるトラブル源」として、脅威を感じているからなのか、

癒えていない傷がまだまだ沢山あって、回復途中だからなのか、

その両方なのか・・・

はたまた、親にこだわることに逃げているからか、


          自分でも分からないので混乱しています。
          誰かに、「今のあなたはこういう状態ですよ」と判定してもらっても、
                                  納得して受け入れられるとも思えず・・・
          まだ試行錯誤は続きそうです。


この本の最後のエピソードが心に残りました。
虐待を受けて、10代のころは自殺未遂もしていた人が、支援を受けて成長し、社会に出て、正社員になり、結婚し、親にもなった。
偶然再会したとき、「もうこの話をしても大丈夫だろう」と自殺未遂をしていた頃の話をしたら、
「今は積極的に死にたいとは思ってないけど、いつ死んでも、あした死んでもいいと思っている。
未だに自分が生きている意味が分かっていないから。」
と返事をされて、衝撃を受けたそうです。

この人の気持ちに近いものがあります。
来週手術だけど、「万一のことがあって死んだら絶対嫌だ!」とまでは、正直思っていません。
だから、手術も平気なんだろうな・・・。
苦しいのは嫌だけど、「お迎えに来ましたよ」と言われたら、ついて行きそうです。
わんこが心配と言いながら、どこかでは、終わるならそれはそれでいいや、と思っているのも自覚しています。
こういう自分が、「生きていたい派」になるとも思えず・・・そういう意味では、私の求める「回復到達点」は幻なのかも、 と思った1冊でした。