シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「生きやすい社会」の条件

婦人之友という雑誌の記事で、自殺の多い町と少ない町を比べたところ、
自殺が少ない町は、
  ・多様性を受け入れる素地がある
  ・人付き合いは薄い(強い絆ではない)
  ・助けを求めやすい

自殺が多い町は、逆。
  ・コミュニティーに受け入れられるためには、「郷に入っては郷に従え」
  ・地域のきずなが強い
  ・助けを求めにくい

日ごろの自分の考えそのままで、「やっぱりね~」と思いました。

「お隣さんの顔もよくわからない」では、災害のときなど助け合えない という意見には賛成ですが、
「もしものとき、助け合える関係」でいるには、「挨拶は交わすけど、お互い立ち入らない。ぼんやりとは家族構成を知っている」くらいの方が、「醤油の貸し借りをする昭和レトロな関係」よりいい、と思っています。親戚関係もしかり。

私の場合は、下手に親しい相手から助けを求められたとき
 (こちらの状況を説明して、”できるのはここまで”と言えば納得し合える、本当に親しい人は別)、
負担のかかる、正直そこまでは出来ないよ、なレベルの援助を求められて、断りにくいんじゃないかと不安がよぎります。

ご近所のわんこ仲間程度の付き合い(挨拶はするし、わんこのことでは相談しあう関係)だと、
”助けて”も負担のかかることは遠慮して頼んでこないだろうという安心感もあってか、逆に素直に、手助けできるし、できないことは断りやすいです。
    ・・・実際に、具体的な援助を求められることはほとんどないのですが。

専業主婦になって気鬱になるか心配でしたが、今のところ大丈夫なのは、わんこのおかげでご近所に顔見知りが増えたおかげです。
ちょっと挨拶を交わすだけの関係でしかないのですが、その程度の「傷つけられる心配の少ない関係」の人と、一日数回挨拶する機会があるのとないのとでは、精神衛生上も随分違うことを体験しています。

世の中、親しく付き合いたくなる人の方が少ないのですから、
一般社会では、安全・気楽な薄い関係が、長続き&互いの幸せの秘訣のように思います。