先週、姪のお世話に二日行きました。
その時、「お母さんが一週間もいないと寂しいねぇ」と言うと、
「べつに。気が向いたときしか相手してくれないからいやなの。」
「用事のない休みの日も、旅行などの移動の道中でもお母さんは寝てばかりでつまらない。
起こすとすっごく不機嫌で怖い。」
という趣旨の発言が・・・。(姉は不機嫌になるととてつもなく怖いです)
母親が自分と向き合ってくれない、二の次三の次になっている・・・と感じているのは確かなようです。
姪がACになりませんように、と祈るばかり。
自分がどうだったか思い出すと、姪の年頃の時は既に親への不満や寂しさだとか、本当には相手にされていない(私の気持ちに相手が目を向けていない)感覚は封じ込めて感じなくなっていました。
感じても辛いだけでよくなる見込みもないから、自覚せずに封印する回路が自分の中に出来ていました。
見捨てられているという感覚、
(特に親に)ケチをつけられ、嘲られないためにも完璧でいなくては、という強迫観念。
そういうものがはっきり育っていました。
それを思うと、「ここが不満」と言えるということは、そこまで深刻ではないのかも・・・。
これは分からないです。
本当に困った時には親に相談できる感覚があるのか、
(自分にとって一大事の時、それを感じとって対応してくれる親だという信頼があるのか)
そこが一つの分かれ目かな・・・とは思いますが、確かめようもないですし。
「お母さんもお仕事大変だからねぇ」とは言わず、
「そうだよね、お母さん、不機嫌だとすっごく怖いよね!」
「そうか、一緒にいても寝てばかりじゃつまらないね。」
と相槌うつのがおばちゃんの精一杯でした。