買い物病な自分も気になる私。
でも、ふっと力が抜けた部分もあります。
「コレクションの楽しみ」「持っているだけで嬉しい」もいいんじゃない?
極力実用性のないもの(手芸なら完成にたどり着けないであろうモノたち、服なら着る機会のないもの)は買わない、所有しないのが正しいと思っていました。
基本これが正解なのには変わりないです。
お金も、置き場所も、管理にかける気力・体力も有限ですから。
ただ、「持っているだけでうれしいもの」は、「もともとの存在意図と違ってもいいのでは?」と思ったり。
綺麗なお鍋が好きだから、使わずにただ飾るとか、
絶対自分が身に着けることはない服をインテリアとして飾るとか、
使うことはないレースのハンカチを大事にしまっておくとか。
手芸材料やキットは完成させないと意味がないと思い込んでいて、
「いやいや、私コレクターだし。」と言うのは単なる言い訳でした。
でも、「手に入らなくなったとき、後悔したくない」という思いだけでなく、
「自分が持っていると思うだけでうれしいもの」って意外と沢山あるな~と気づきました。
いつ作るか当てもないラグキットしかり、
色味、手触りの気にいている無地布(現在製造中止で入手不能)しかり・・・。
買い物についても、あまりに白黒つけようとしていたのかな。
これを買ったのは正解、これは失敗、みたいな。
グレーゾーン、もっと広げてもいいのかも。
「使わないだろうけど、持っていて幸せ」もアリでしょう。
シンプルライフを目指す中で、「所有=悪」になっていた部分が確かにあります。
「在庫過剰=管理能力のない自分のダメっぷりの証拠」みたいな。
自分の基準が実情に合っていなかったのも、買い物病発病原因になるストレスの一つだったんだな~と自覚する今日この頃です。
自分の気持ちだけで何かをする許可を自分に出していなかったのかも。
「単に好きだから所有する」を。
「好き」+「製作を楽しめる」+「完成品に使用価値がある(プレゼント先があるも含め)」でないと自分でOK出せてなかったんだな~。
だから、「製作を楽しめるもの」は十分持っているでしょ? なのにまた買うの? って自分を苛めていたのかも。実際、買ってしばらくすると、「実はそこまで好きじゃないな。」というものもあるから、余計、
「無駄に買ってる」と自分を責める理由にしていたのかも。
「単に好きだからというだけで所有する」を自分に許そうと思います。
既に手持ちが沢山あるので、余程のお気に入りでなけれはコレクションに加えない、は
必要なルールですけど。