断捨離で知った「自分軸」という言葉。
物の扱いで言えば、自分がそのものが好きか、使いたいか、現在使っているか・・・で判断すること。
くれた人に悪いとか、物を粗末にすると思われたくないとか、そういうのが「他人軸」
親との関係は、親軸を考えてしまう(親がどう思っているか)を考えてしまうけど、
先日の父親の手紙を自分軸で考えると・・・
封筒をポストに見た瞬間、「あぁ、またいつもと同じことしか書いていないな」と暗い気持ちに。
自分で読むか迷い、夫に代読を頼んだ時、「次の手紙は読まない!という誓いは守れた。」と自分を評価。
相変わらず、自分は元気だとか言ってよこしただけと分かった時、腹が立った、がっかりした、脱力した、また侮辱されたと思った。
私は5年以上、(祖母の葬儀以外では)会うのを拒否し、連絡があっても返事しないようになり、年賀状も出さなくなり・・・で、距離を取り、不快感を表現しているのに、相手の反応は、私の憤りを無視。
「無視すれば、ないことに出来る」という昔からのやり方の踏襲。
私が自分に合わせるのが当然だという価値観の表れ。
見ると嫌な気持ちになるであろう現実に向き合ってまで、私との関係をよくしたとは思っていない=そんなエネルギーを注ぐ価値のある対象ではないと思っている本心だだもれ。
私はこう解釈しました。
まだ、「親に対してなんだその態度は!」という反応でもあれば、
「少なくとも私の怒りの存在は認めたんだ」と評価して、次の展開もあるかもしれないけれど。
もう、絶縁の手紙を書いて出そうかと思う時も多いです。
でも、そのコピーを配って、「自分は被害者だ」と彼らが言い出す可能性もあるので、嫌。
葬式にも行かなかったら、やっと認めるのかな。嫌われてるって。
今の私の望みは、関係改善ではなくなりました。
冠婚葬祭以外ではお互い連絡しない関係になること、です。
少しずつ、ほんの少しずつだけど、こだわりや改善への望みがしぼんでいるので、今後の自分に期待です。