シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」

熊谷晋一郎さんと、4人のゲストそれぞれとの痛みをめぐる対談をまとめた本です。
 
自助グループのコミュニケーションの話が興味深かったです。
依存症の自助グループでは、話しっぱなし、聞きっぱなしがルールで、他人の話に同調や励ましも含めて意見を言わない。ただ聞くだけ。
それじゃ、言う方も、ひとりで壁に向かってしゃべっても同じじゃないか、となりますが、「ただそこに他人が存在している」ことが重要という話がありました。
 
これは、私のこのブログにも通じます。
コメント欄を閉じているので、読んでくれる人がいても、その人の反応は受け取れません。
じゃあ、全て公開しなくていいんじゃないか、になるのですが、それじゃダメなのです。
「誰も読んでいないかもしれないけど、誰かが読んでいるかもしれない状況」が大事で・・・
そのおかげで、自分と距離を取って、客観的に書こう(現状を見よう)とすることが出来ます。
 
似た悩みを持つ人のつぶやきをコメントは残さずネット上で見て回る・・・この二つの作業が、「一人ミーティング」になっているのかな~と感じました。
 
他のことでも、共感を示されるより、淡々と傍にいて必要なケアだけしてくれる方が予後がいい場合も多い、とありましたが、これも、当事者として感じます。
相手が共感してくれると嬉しいのですが、他人を満足させなくてはいけないという強迫観念がある私には、「じゃあ、順調に回復しなきゃいけない」というプレッシャーにもなります。難しいです。
「そうなんだ~」と聞き流しつつ、別の話題で一緒にお茶してくれる方が気楽に癒されることもあります。
 
私のかかった医師に足りないのは、「そうだんだ~」と一度は受け止めてから、「まぁ、まずはその頭痛を何とかしましょうか。」と移るステップだな、と思います。
すぐに、「じゃあ、頭痛の薬出しときますね」になるから、「この苦しみの存在を無視された」と思う。
私は精神科にはかかっていないので、カウンセリングまでは期待していませんが、微熱できついと訴えても、「検査しても病気は見つかってないから」とスルー。
スルーの前に、「そうか、結構しんどいんですねぇ。」といったんは受け止めてほしい。
 
この距離感が、痛む人にとって重要なんだな、
そのことをこうやって言葉にする人たちがいるんだな、と納得しながら読みました。
 
 
 
 
もう一つ興味を引いたのが、「痛みの区分け」
これが出来ていないと、お腹がすいても、体調が悪くても、不安感に襲われても、ぜんぶ依存対象に行ってしまう。(薬物とか、買い物とか、ギャンブルとか)
 
でも、「お腹がすいたんだ」と自覚できれば、何か食べる
    「体調が悪いな。頭が痛い。」と自覚できれば、医者に行くなり、薬を飲むなり、寝るなりできる。
    「不安だ~」と自覚できれば、
             気を許せる人とコンタクトを取るなり、愛読書に手を伸ばすなりできる。
 
私も、「自分を苛める親が嫌い」と自覚してからの方が、現実に合った方法で対処できることが徐々に増えたかな、と感じます。