未だにACな自分を刺激するちょっとしたことで落ち込みます。
20代の自殺が増えているという番組の中で、
「それまでに、ギリギリまで自分を削って生きてきているので、ちょっとしたことでコップの水があふれて、
”もうだめだ”になってしまう。」
と解説していました。
これ、よく分かる。今でもよく実感します。
番組に出ていた、自殺願望のある(あった)20代の声は、それだけ聞くと、
「どこでも、誰でも経験していること。」
「確かに大変だろうけど、エイッと踏ん張れないの?」
と言いたくなる。
でも、違うんです。
既に3日不眠不休で頑張ってきた人と、
十分休んで充電した人とに、同じことをさせようとしたときの違いみたいなものがあるのです。
外からは見えないだけで、本当にギリギリなんです。
本人も、だからって、周りに配慮を求めるのは身勝手と分かっているので、余計しんどい。
こういう番組を見ると、毎度凹みます。
自分には、「生まれてきて良かった」と思えるような、安心感や自己肯定感が持てる生育環境がなかったこととか、親の嘲り声とか甦って辛くなる。
精神的に健康な人には軽々と越えていける丘を、登れない自分を見せつけられる。
そういう中でも、ほんの少しは変化があるな、と感じました。
落ち込む時間が減りました。以前よりは回復が速い。
私の気持ちを無視して、支配を楽しんできた親への怒りや憤りは相変わらずありますが、
ほんの一部は「過去のこと」になったのかな? という気もします。
それと同時に、回復していない自分も感じます。
臨時出勤があって、土・月・火 と続けて働きました。
それだけで、特にトラブルもなかったのに、(使えないSさんにはまいりましたが、毎度のこと)
「あぁ、疲れた。やっぱり私はダメだ。とても連続では働けない。」
と思って暗くなる。
まだまだ、傷を引きずっているようです。
「他人といると、私にケチを付けようと見張られているような気がして疲れる。楽しくない。」
(理性では、他人はそこまで私に関心もないし、悪意もないと十分分かっています)
しんどくても、試行錯誤を繰り返していくしかないんだな、と思います。
でも、しんどいです。