シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今の心境 「今更」

以前は、「親が最低限の礼儀を守るようになるなら、表面的な付き合いをしてもいい」と思っていました。
私も親とすっぱり縁を切ることに抵抗があったのもあります。
「父なるもの、母なるもの」を諦めきれなかったのもあります。
 
今は、「万一向こうの態度が変わっても、”今更何?”」に変わっています。
 
「今のままのあなた方とは付き合う気はありません。」と6年近く態度で示してきました。
電話に出ない、手紙に返事を書かない、それまで10年以上続けていた贈り物を止める、会いたいと言ってきても断る、年賀状を出さない・・・などなど。
 
親の言動による返事に変わりはありません。
「私は変わるつもりはありません。以前の隷属状態に戻りなさい。」
 
 
毒親は変わらない、というのはずーっと思ってきましたが、「可能性は0ではない」にわずかな期待も持っていました。
 
でも、人が変わる可能性のある機会を得ても、変わりませんでした。
 ・身近な大切な人が亡くなって、死を身近に感じ、人生を振り返る
 
 ・自分や家族が大病して、死を感じ、人生を振り返る 
    or パートナーに先立たれて、独りになったら・・・と想像し、自分に必要な物事を考える
 
親にもその機会がありました。それぞれの母親が亡くなったし、父親は術後の経過が悪くて一か月以上入院したし。
父親は自分の兄弟とは絶縁。自分が動けば上手く行く、とはならないけれど、何もしなければ状況は変わらない、も体験で知っているはずです。
 
残る機会は、「本人が死を目前にしたとき」か、「連れ合いが亡くなって、独りになった時」でしょう。
でも、もしその時に親が変わっても、遅い。
既に親の変化を期待して待つ時期は終わってしまいました。
 
 
親からは電話や「会いたい」という誘いはなくなり、私が避けていることは少しは認識しています。
でも、父親は相変わらず「写真を見れば自分が元気だと分かると思います」だの、「癌と向き合った一年でした」だの、何のわだかまりもないかのように自分のことばかり書き送ってきます。
 
おそらく、これまでのやり方を続けているのです。
「自分がその問題を無視すれば、問題はないことになり、状況は以前のまま持続される」と。
私が子供の時は、親に依存していたので、確かにそうでした。
当時ははっきり自覚はなかったけれど、親に精神的に見捨てられても、困っている私を黙殺されても、黙って耐えるしかありませんでしたし、親に愛されたいと親に合わせてさえいました。
 
今は、不快感に耐えても得るものがありません。
親からは、お金も人手でも援助を全く受けていないので、親が突然消えても、生活に何の支障もありません。
逆に付き合いを続ければ、「老後」に関わらなくてはならなくなり、こちらの負担は重いだけです。
親の介護にかかわっている同僚たちを見ると、その負担の重さに「軽い気持ちでは引き受けられない」と強く思います。
夫実家の経験から、「自分は何もしなくても、問題が起こったと次々耳に入るだけで十分ストレス」なのも学びました。
姉に親を押し付けて、トラブルになりたくない、という気持ちはありますが、逆に私が親を押し付けられて、姉と縁が切れる可能性もあることに思い至りました。
 
 
これまでの関係への失望・絶望、 
これも人生につきものの”縁”だと割り切って、関わり続けた時の自分の負担と代わりに得るもの
 
どれを考えても、「もう、いいや」を覆すものがありません。
 
 
もう、親から手紙が来ても、読まずに捨てようかな、と思い始めています。