シンプルライフへの遠い道

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コミュニケーション断念のすすめ  信田さよ子著

またまた信田さんの著書です。
 
震災直後から、「絆」という言葉のいかがわしさを書かれていた信田さん。私も同感!です。
 
本当に、「互いに助け合う」「相手を尊重する」”絆”ならいいんです。
”絆”の掛け声のもと、結局は不本意な労働や待遇を我慢させられる、より力の弱い人たちの、表に出てこない叫びが聞こえるようです。
 
”絆”って、もともとは家畜をつなぐ紐のことだそうで、自分の親子関係を思うと、自分の親は、語源通りに使っていたんだな、と思います。
 
コミュニケーションも、相互性があればいいのですが、
  一方的な説教・考えの押しつけ
を、「コミュニケーション」と思っている人がなんと多いことか・・・。
 
私自身、極力「相互性、相手を尊重すること」を心がけているのに、反省する場面が多々あります。
無自覚の人は推して知るべし。
 
職場や友人関係では、相手を尊重し、相手の話に耳を傾ける人でも、わが子には一方的な命令だったりしませんか?
後輩や部下に一方的に命令して、相手に意見を言わせなかったことはないですか?
この問いに、「私はそんなことはない」と答える人こそ問題だと思います。
誰でも、自分が相手より上の立場だと、無自覚に押し付けるような言い方になったりすることがあると思うのです。それがないと言い切る人ほど、実は、ハラスメントをやっているんじゃないかと思います。
 
それなら、いっそのこと割り切った薄い関係を大事にする方が、いざという時の助け合いも互いのストレス・負担少なくうまく行くんじゃないか、と思います。
夫実家で特に思いました。
義母が亡くなるまで交流はありませんでしたが、義父の介護、義姉の葬儀など、少なくとも義兄との間に修復不能なわだかまりを作ることなく今に至っています。
「互いに知らない・分からないからこその遠慮」が上手く機能したと思っています。
下手に親しいと、互いに「このくらいは分かってくれ、やってくれ」の甘えが出たり、「この件は私の方が得意なんだから、私に従うべきだ」と偉そうになって相手を傷つけたりしがちだと思います。
 
 
人にはどす黒い感情もあります。
「自分より上の人を引きずり下ろしたい、自分より下の人はもっと不幸でいてほしい、言うとおりに支配したい、いばりたい。」と信田さんが人の本性を描写した通りだと思います。
誰でもそういう一面がある。
私は他人と近くなって、違いを見せつけられると余計こういう感情が出てしまいます。
他人に優しくできるように、「君子の交わりは淡き水のごとし」が私に合っているんだな、と再確認した本でした。
 
「なかなか友達が出来ない」と社交的でないのを欠点だと思っていましたが、
他人とわだかまりを作らない距離を保てる自分、ととらえ直せば長所なのかも。