シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「死にざま」こそ人生  柏木哲夫著

ホスピス医の著書。TVでインタビュー番組を見て、興味が湧いたので読んでみました。
 
2500人くらいの方を看取って、「人は生きたように死んでいく」と感じたそうです。
これは多くの看取りに立ち会ってきた人がよく感じるようです。
 
自分は死ぬ時、どうかな~と考えると、まぁ、何とかなるかな、という気がしています。
突然、「あと数日」になったらどうなるか分かりませんが、
  時々死について考えるし、
  その都度自分なりに納得しながら進むようにしてきたので、
  後悔はあっても、「まぁ、これが自分のBESTだったかな。」にたどり着ける気がしています。
「死の準備」は今の路線でいいのかと思っています。
 
 
死にざまもそうですが、遺される方も、大事な人との別れが遠からず来ると分かった時から、存分に悲しんでおくことが大切だそうです。
かなしみを十分に外に出せなかった人の方が、喪失の悲嘆から立ち直るのが難しいとか。
 
自分の体験からもそうだと思います。
お友達わんこの介護を手伝ったときは、わんこが旅立ったとき、気が済むまで泣きました。
自分のわんこではなかったこともあって、それですっきりして、立ち直りも早かったです。
 
逆に、「親に愛されていないという現実」は、40年近く認めずにいたので、認めるしかない時の衝撃、その後の怒りや悲しみや鬱々とした感じなど数年続きました。
「親(愛情を持って見守ってくれる存在)の喪失」という意味で、親との死別と似たものがあったと思います。
実在の親が死んでも、今度は、あんな気持ちの大嵐にはならないだろうと思います。
未だに複雑なものを抱えているので、かなり厳しい時期を過ごすことにはなるでしょうが・・・。
 
 
 
結局、永遠の別れでも、自分の死でも、誰かとの関係でも、避けられない現実や事実とは自分に合った形で向き合うことでしか平安には行きつかないんだな~と思った1冊でした。
 
今でも、親と和解して、穏やかな看取りが出来たらいいな、と思ってはいます。
でも、この本を読んで、難しいな、とも思いました。生きたように死んでいくわけですから・・・。
 
今の親と私の疎遠は、過失割合で言えば、8:2だと思っています。
私も親を傷つけたことがあっただろうし、
一度もはっきりと距離を取る理由を説明していないので、私の過失は2割。
判断力も逃げ場もない幼少期から、私を嘲ったり、気持ちを無視したりし続け、一生ストレス解消対象として利用する気満々でい続けて、兄に絶遠されても、私が何年も避け続けても、「もしかしたら自分にも非があったかも。」と思いすらしない(少なくともそのような言動はない)彼らの過失が8割。
 
それでも、これ以上の嘲りなどの被害がないなら、最低限の付き合いは…と言う思いはありますが、それは甘い夢ですから。
 
親の安らかな死より、自分の心の平安を大事にしようと自分に言い聞かせています。
どうするか今決めてしまわずに、「状況は変わる余地もあるから、その時決めよう」と思うのが精一杯です。