シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

自分の人生を引き受ける

まだ付き合いがあったころ、「母親は自分の人生を私に背負わせようとしているな~」と感じていました。
 
「自分は悪くない。
だから、この不本意な状況・結果を、誰かが、自分にはノーリスクで何とかするのがとうぜんでしょ!」
という彼女の魂の叫びが聞こえることがちょくちょくあったのです。
そして、身近で手軽な私が、精神的なサポートやストレス解消対象になることで、自分の世話をするのが当然というスタンス。なぜなら、自分は理不尽な現実に苦しめられているのだから、その分の見返りが必要だから。そのせいで私がどうなるかには全く無関心。
 
私はそれが凄く不快だったので、こう思うようになりました。
 
自分の人生なんだから、自分で何とかできる部分は何とかする。
勇気がなかったり、心身の不調でエネルギーがなかったり、欲で動けなかったりする自分は許そう。
でも、「何もしない」を選んだなら、「何もしないと自分が選んだ」ことだけは、自覚しておこう。
でないと他の人(私の場合わんこ)に八つ当たりして、大事な関係を壊して余計自分を不幸にするから。
 
この思いを新たにする出来事がありました。
久しぶりに、モラハラ(言葉の暴力)夫に苦しんでいる知り合いの話を聞きました。
 
愚痴は言うし、「どうすればいいかしら?」とは聞くけれど、動く気全くなし。
「こんなに虐げられている可哀そうな私」でいるのが好きなのかな? と思いたくなるほど。
本当は何とかしたいけど、なかなか行動できない&行動始めても続けられない、だから困っている・・・という葛藤はなさそうでした。
 
後日つらつら思い出すと、母親と同じく、「自分は悪くない、だから、自分は動きたくない」が本音なのかな~という気がしました。 本当のところは分かりませんが。
「いつか、白馬の王子様が・・・」的な感じ?
 
 
 
自分がACだと自覚したとき、不要な重荷を親に背負わされたと怒り心頭でした。
でも、親が原因でこうなったのに、どうして私が苦労して回復(親が毒親でなかったら、経っていたであろう場所までの移動)をしなきゃいけないの? とは思いませんでした。
不幸中の幸いだったようです。
 
 
他の人を見ていても、自分自身のこれまでを振り返っても、「健全に当事者意識を持てるか」が大きな分岐点だな~と思います。