シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

まだまだ

親のことが浮かぶことも減ったし、
親の嘲り声もかなり聞こえなくなってきました。
 
着実に進んでいるのは確かですが、まだまだなのも確か。
 
義姉の死をきっかけに、また「親が死んだら?」とも考えました。
激しく動揺するんじゃないかと心配ではあります。
が、それは、ゆっくり自問すると、
 「親なる存在を決定的に失ったと思い込むことからくる動揺」なのかな~と思います。
既に、”決定的に喪って”いるのですから。
    あの人たちと心が通う可能性は0に近いし、
    私が望む、「すべてを親なる存在の愛情と保護にゆだねてのびのび過ごす」のは、
    大人ではできないことですから。
    だれか、そうできる相手がいたとしても、そうするには変な知恵がつきすぎているのです。
 
今は、ある程度の動揺は覚悟しつつ、
今から関係修復するのは無理(自分にその気力もない)なので、
結果を受け入れればいいや、と腹をくくろうと決心に向かってのんびり進み中です。
 
以前は、誰でも死ぬ時までには問題は解決しておくことが必要!なんて思っていましたが、
義母と義姉を見ても、「突然、死にさらわれていった」のが現実ですし、父方の祖父も長男との不和、息子同士の不和をそのままにして他界しました。
現実はこんなものなのでしょう。
「生きたようにしか死ねない」は真実を突いていると思います。
 
 
せめて自分は・・・と出来ることをやっていけば、他人はどうでもいいや、と思う今日この頃です。