シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

手あての力

これまたTVネタ。
プレゼン番組で、ある医師が、医師の手当て(触診、聴診など)の力について話していました。
 
「毎回、ちゃんと触診してくれるから」と高度医療機関から、近所の病院に転院した乳癌の友人。
 
「どうせ治せないでしょ」と最初から疑っている慢性疲労症候群の患者さん(家庭やほかの医療機関で嫌な思いをし続けている人が多いから、とか。分かる~~)、
初回は、とにかく患者さんの話を聞く。
二回目は、丁寧に診察する。
結局、診断結果はほかの医療機関と同じなのだけど、患者さんの納得度は違う。
 
    これも分かります!
    私も、「そのくらいの発熱は医学的に問題ないですよ」
            (日常生活に支障が出るほどしんどいから訴えているの!!)
       「検査の結果、これといった病気の心配もないし、大丈夫ですよ」
            (重病じゃなかったのはいいけど、この辛さを何とかしてほしいの!!)
何だかね・・・。
微熱やだるさ、頭の重い感じが続くせいで、私がどれだけしんどいのか、生活に支障が出ているのか、そういうことを丁寧に聞いてくれて、分かりきった気休めレベルでも、日常生活のアドバイスをしてくれた医師はいません。
今、同じ病院に通っているのは、とりあえずは、「しんどい」という訴えを無視はしないし(疑われる病気の説明と検査はしてくれる)、希望する漢方薬も処方してくれたから。
 
このプレゼンで、「パソコン上のデータだけ見て、患者さん本人は置き去り」という医療の現実を話していましたが、まったくもってその通り!だと思いました。
 
 
余命いくばくもないエイズ発症患者さん、自分が行くと、診察(聴診など)を求められ・・・
患者に触れる診察は、一種の儀式で、「私はあなたのそばにいる。最後まで見捨てない」というメッセージでもある、と気づいたそうです。
 
この話を聞いて、気づいたら泣いていました。
私が子供のころ、親からもらいたかったメッセージ。
私が夜中に腹痛を起こして苦しんでいるのに、「盲腸かどうか」だけ気にして、私の苦しみは放置されました。重病でなければ、どのくらい私が苦しかろうが、親にはどうでもいいことだったのです。
その時、体をさすってもらったり、「朝には病院に連れて行くから、頑張るんだよ」とか励ましてもらった記憶はありません。
 
風邪をひいても、「薬を飲ませて、静かに寝かせておけばいい。」
優しくいたわってもらった記憶はない・・・(親への怒りのせいで思い出せないだけかもしれませんが)
消化のいい食事を作ってくれたり、リクエストの果物を買ってきてくれたりの記憶はありますが。
 
病気の時ですらこれですから、日常生活では言わずもがな。
子供時代全般を通じて、「故障は困る」というメッセージはもらったけど、
「あなたを決して見捨てない。」というメッセージをもらったことはありません。
それどころか、「親にとって都合のいいあなたでい続けないと見捨てるよ」という脅しメッセージはたくさんもらいました。
 
「あなたのそばにいる」「あなたを見捨てない」という”手当て”のメッセージは、人間みんな求めているもので、わがままでもなんでもない、ってことすら知らずに育った自分が哀しいです。
 
以前のように、こういうことを再体験して、また親への怒りが爆発! はないですが、
「私は、こういう思いやりのやり取りができない人たちとは付き合いたくないから、やっぱりあの人たちとは関わらずに行こう」と心を新たにしました。