シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今の「回復位置」

自分が今回復途上のどの辺りかは気になります。どこまで行けば、じぶんで「ここでいい」と思えるかも分からないので、それも知りたいです。
 
今は 「親と離れる罪悪感はほぼ克服。が、母なるもの、父なるものも喪うことへの覚悟はまだ途中」な感じです。
 
これまでの歩みを再整理すると・・・
0.生き辛さを感じながらも、なぜなのか、どうすればいいか分からず困っていた時期
    特に結婚後数年たってから~気付きを得るまで
 
1.気付き
   とある児童虐待の本を読んで、「これは私だ!」と衝撃が。
   毒親関係の本をゆっくり読み進みながら、私の育った家は機能不全家庭で、
   ずっと精神的虐待を受けてきたこと事実を知る。
 
2.怒りと喪失の悲しみ
   子供を愛しているだの、何より大事だの言う親に騙されていた怒り、
   親にされたこと、言われたこと、逆に、してもらえなかったこと、もらえなかった言葉などへの怒り。
   子供時代はどうあがいても取り戻せず、自分を愛してくれる親も得られないというかなしみ。
 
3.罪悪感
   自分の心の健康のためには、私を嘲り、利用するしかしない親とは離れるしかないと思いつつ、
   育ててもらった恩や、楽しかった思い出がちらついて、罪悪感と葛藤した時期
 
4.別の喪失
   現実にいるあの人たちから気持ちが離れるにつれて、
   自分には「本当の親(愛し、みまもってくれる存在)」がいないことが改めてクローズアップされ、
   孤児になった気分。
   世に言う「親孝行」をして、親を見送り、本当の親離れ・自立する道は自分にはないのだと
   実感し始めたところ。
   正直、実際に親を看取るのは大変と知りつつも(体験としては全く分かっていませんが)
   自分にはこのステップはないのだと思うと寂しく、哀しいです。
   あの親たちの世話をする=被虐待に戻る、ということで、大人同士として親との絆を結び直し、
   感謝の気持ちで見送る道はないので、あの人たちの世話をすることは意味がありません。
 
 
今はこのあたりの気持ちでいることが一番多いです。
ステップ1が終わったから、2に進む、のではなく、行きつ戻りつしながら、気づくと今は4にいることが多い、という程度の差です。
相変わらず親に怒っている時もあれば、離れる罪悪感が顔を出すときもあります。
 
 
 
これからどういう道を行くのかは自分でも全く分かりません。
今読んでいる本は、回復の体験者の著書で、ご本人は回復に数十年かかったそうです。
私は、「気づき」から5年。 まだまだ道は遠いのでしょう。
 
でも、たとえ30年かかるにしても、生きている間に、「回復できた」と思えたら、
私の人生の課題を終えて、今よりは平安な気持ちであの世に行けるのかな…とおぼろげな希望はあります。
 
今読んでいる本は、内容が辛くで、つまみ食い読みなので、読み違えかもしれませんが、私から見ても、
「あぁ、この人は回復したんだな。」と思える人は初めて。
実際に回復できる人もいる、というのも大きな励みです。