先日母親からFAXが来ました。また、あれこれ考えてしまっています。
2月の母方の祖母の葬儀に来てくれてありがとう。
それならどうして、通夜のとき嘲ったの?
どういう理由があれ、私を嘲っていい人はいない。
私が何かやらかして、それに怒る権利がある人はいるけれど、嘲っていい人はいない。
しかも、嘲りの理由は、彼女の妄想。
妄想の中の「次女」に対して、「お前はこう思っているんだろう」と決めつけ、笑う。
この精神構造、わけが分かりません。
私は喪服で列席しているのに、
「何お前は、そんな花柄のワンピースなんかで通夜に来てるの。常識がないんだから。」
とあざ笑う・・・こういう、事実に沿わない奇妙なことを私の親はずっとしてきたのです。
反論しても、もちろん聞く耳もないし、私は彼らの妄想のせいで嘲られ、
嫌な思いをしてきたのです。
巧妙なことに、全てが妄想に基づいて嘲っていたわけではないので、
子供の時は、とても混乱していました。
こう思うと、自分がよく狂いもせずに、ここにいるものだ、と自分をほめたくなります。
祖母の新盆には行かない。
体調を考えてだと思います。
実母の新盆に行かないほど衰えているのか~とちょっとさみしくもなりました。
この延長には死があるわけで、このまま向き合うこともないまま、
永遠の別れが来る可能性がじりじり高くなっている現実が見えました。
ですが、まだ、自分から親と対決するだけのものは私の中に育っていません。
本題は、
来月姉宅に子守りに来て、一週間ほど滞在する。
毎度、だから会いたいと続いていましたが、今回は連絡のみヽ(^o^)丿
やっと、誘っても断られるだけと分かったようです。
私が自分とは会わないだろうという事実は認めても、その理由とは向き合おうとしないんだな・・・
とがっかりもしました。
私も、親には距離を取る理由を伝えていないので、「お互いさま」ではあります。
が、自分のことは棚に上げて、
娘と向き合って、より良い関係を築く可能性に賭けるよりも、
うやむやに、傷つかないようにして、流す方を選ぶんだな・・・
それだけ、私は軽い存在なんだな、と現実を突き付けられて、
(予想の範囲内ではありますが)失望もしました。
あんな風に嘲ったり、「妄想の中の私」を現実扱いして決めつけたりしないなら・・・
親とは表面的な付き合いだけでもできたら、という思いも、未だにあります。
あの人たちのことは完全に切った! と高らかに宣言できるところまでは行っていません。
でも、2月に会った時のあれこれを思い出すだけで、
どんなに親が老い衰えてきていようと、やっぱり接触は出来ない。これは、自分自身への誠意だ、と自分に言い聞かせています。