まだ、2月の祖母の葬儀で親に会ったことで起こった変化をうまく統合できずにいる感じで、不安定です。
あの人たちはやっぱり駄目だ、と再確認したことはプラスでした。
頭の隅にあった「もしかすると疎遠にした4年の間に、彼らにもいい方向への変化したのかも。
単にそれを受け取る機会がないだけかも。」という考えが完全に否定されてすっきりしました。
それと同時に、「万が一」に期待していた自分はがっかりしました。
この辺の感情は自覚して、整理できたと思います。
あの人たちはダメだと再確認=
「父なるもの、母なるもの」(いつも私を見守ってくれて、味方になってくれる存在。安全基地)が
自分は手にしたことはなく、今後も手に入らないことが確定
この現実の受け入れに手間取っているのかな、とうっすら感じる今日この頃です。
「どこかに、やさしく、思いやりがあり、自分を愛してくれる親が、いるはず」ともがく不遇の幼い私の存在が、以前よりはっきり見えるようになって、辛くてもがいているのかな~。
子供の時は、親の言葉に騙されて、自分の親が「いい親」だと思い込んでいました。
親の中に「優しい親」を必死で探していました。(見つかるはずもないのですが)
今は、現実が見えるだけに、取り戻せない子供時代を想うのだと思います。
これは一種の喪失。
このことについて、「喪に服す」時期が来ているのかもしれません。
これは、以前から頭で分かっていたことですが、
私の場合、頭で分かるのと、感情でも受け入れられるのとはまた別問題で、感情で受け入れるにはかなり時間がかかります。
そろそろ、感情でも受け入れる作業に入りましょう、というサインなのかな。
そのしんどさに無意識がおののいているのか、
また買い物に走る今日この頃です(^_^;)
そんな自分を責めずにいよう。