2か月以上経って、やっと親に会ったダメージから立ち直った感じです。
今、自分は回復のどのあたりにいるのだろう・・・。
回復のステップは諸説ありますが、
1.現実(自分はACである)を自覚し、認める。
2.養育者(私の場合は親)にされたこと、してもらえなかったことなども含めて、過去の洗い出し
同時に、過去の自分の気持ちや希望、 親子関係の中で自分がどうなっていったかなども
思い出し、負の感情を吐き出す。
3.自分が身に着けている「不幸になるパターン」を自覚して、それから抜け出す努力をしていく。
4.生きづらさが減って、自分らしく生きていけるようになれば○・・・?
今は、3の途中かな、と思います。
親に対しては、何か新しい事件があれば、怒りや憤りは噴出するし、過去が甦って落ち込みもしますが、以前のように何かにつけて思い出して怒り狂うのはなくなってきました。
思い出すことも本当に減りました。
あらゆる意味で、諦めの境地に達しつつあるようです。
あの人たちといい関係になるのも、
ビジネスライクな親子関係を作るのも、
せめて私が嫌っていることだけでも知ってもらうのも、
すべて無理だと何度も思い知りましたから。
祖母の葬儀で4年ぶりに会って、数々の証拠(私からは手紙の返事、年賀状さえないし、入院しても見舞いの一言もない)が、数年来突きつけられているのに、親の態度は以前のままでした。
父親は、ちょっと話しかけずらそうにしていましたが、まぁ、それだけ。暴言は健在でしたし。
母親は見事なまでに関係が良好だったころと同じでした。この点では、母親の方が改善の余地はないと確信しました。見事な否認ぶりに、びっくり。
人間見たくないものからはここまで目を逸らすことが出来るんですね~。
父親は、「気づいてはいるけれど、どうしていいかわからない。」と言われたら、そうなのかな、とも思えますが、母親はそんな解釈の入る余地は全くありませんでした。
諦めつつも、ほんの少しは・・・せめて私が親と距離を取っていること、それは親を嫌ってのことだと自覚してほしい気持ち(私の気持ちを考えてほしいという意味で)がありましたが、それもダメなんだ、と現実を突き付けられました
今でも、奇跡が起きて、毒親だとは認めないまでも、「ちょっと言い過ぎたときもあったけど、今度からは気を付けるし、指摘されたらちゃんと聞いて反省もするから。」と付き合いの再開を求められたら、数年に一度食事をするくらいならいいかな、という気持ちはあります。
あんな親でも、完全には切れずにいます。残念ながら。
でも、実際にはこんなことは起こらないんだと、改めて体験して、諦めが深まるばかりです。
親への諦めがついてくると、今度は、まだまだACな思考パターンのままの自分が苦しいです。
親への怒りなどが弱まった分だけ、生きづらさをはっきりと大きく感じるようになりました。
私の回復の道は、まだまだ続くんだな~と思う今日この頃です。
でも、たまにこうやって思い返すと、亀の歩みでも着実に進んでいるのはうれしいことです。