亡くなった祖母はいつもにこにこ笑っていて、優しいおばあちゃんでした。
それはたまに会っていたからで、一緒に暮らしていたいとこにはどうだったんだろう?
自分の娘たちにはどうだったんだろう?
と思っていました。
今回、聞くことが出来ました。
昔から温厚で、怒られた記憶がないそうです。
最後は施設でお世話になっていました。お通夜に来てくれた職員さんともお話しできました。
いつも笑顔で、癒してくれる、かわいいおばあちゃんだったそうです。
親族相手だから、色つけてるのかな?とも思えますが、祖母に対しては私自身そのイメージなので、
素直に「最後までかわいいおばあちゃんだったんだな」と思えました。
祖母は老衰でなくなりました。
今年に入って少しずつ食欲が落ちて寝ていることが多くなり、これ以上食が落ちたら点滴かな…と話していたところだったそうです。
亡くなる直前まで、介助があれば自分でトイレもできたそうだし、理想的な大往生だと思います。
認知症はあって、7年くらい前に私が会ったとき、母のことは分かっても、私のことは全く分からないようでした。
ただ、一緒に暮らしていた孫たち(私のいとこ)のことは、2年くらい前まではちゃんと分かっていたそうで、進行はとっても緩やかだったみたいです。
(義父は認知症発症から7、8年の今、自分の名前すら怪しくなっているらしいです)
いろいろな意味で、身近なお手本です。
旅行が好きで、好奇心も旺盛で、年齢に関係なく興味のあることには挑戦していたそうです。
終戦で台湾から引き揚げてきたり、5人子供を産んで男の子には恵まれなかったり(時代的に肩身が狭いこともあったでしょう)、娘が癌になったり、離婚したり・・・苦労も沢山あったと思うのに、みんなが「笑顔しか思い出せない」というおばあちゃん。
私もこういう風に生きていきたいです。
思うのは簡単ですが、難しい。
無理に我慢して笑顔でごまかしても、いつか破綻します。
現実を受け入れつつ、自分を失わず、明るい方に目を向けて生きていく心の持ちようの極意があったのだと思います。
それが何なのかは分からないし、私は私に合った「極意」を会得するしかないんですよね。
でも、身近にそれができた人がいるのだから、不可能ではないはずだ、と強く思って帰ってきました。