見捨てられ不安は、私の心にがっしり根を張っているので、脱却はかなり難しいです。
今やりたい方法は、一番見捨てられたくないと思っていた対象(親)からもっときっぱり離れて、
「やっぱり自分が恐れるような「見捨てられ」は起きないじゃないの!」と体験すること。
頭では分かっているのです。親から「見捨てられる」は起こりえないということは。
精神的には最初から見捨てられていた・・・いえ、捨てられてすらいないのです。
最初から私に心があることは認知されていないのですから。人扱いじゃなかった。
だから、捨てられようがないのです。
起こりうるのは、私が自分たちの思い通りにならなくなった事実から、いよいよ目を逸らすことが出来なくなって、切れた彼らが何かするくらい。
なりふり構わずストーカーまがいをやる度胸はない(自分たちの正当性が崩れるから)。
直談判して、「あなたが嫌いです」と拒絶されるのも怖い。
・・・せいぜい、「あなたから反応がなくて心配です。寂しいです。」と同情を引くような
連絡をよこすのが関の山でしょう。
一番激しい反応は、「絶縁宣言」でしょうが、大歓迎!なので、問題なしです。
一度は、彼らに自分の思いをぶつけて「対決」するのもありなのかな~と思うこともあります。
「言うだけ言った。」事実を作るために。(彼らが変わらないことは分かっています。)
でも、どう勇気を奮い起こそうとしても、今更会う気にはなれません。
まだそこまで回復していません。
今の私に出来ること・・・すべて黙殺、くらいです。
年賀状も止めました。
もし、年末に恒例の食品差し入れがあっても、黙殺しよう。
もともと父の日・母の日のプレゼントをもらうだけだと悪いからと送ってくるようになったので、
プレゼントを贈らなくなって4年も経つのだから、いい加減止めてほしい。
去年までは、無神経に送ってきていました。
来年の春休み時期に、姪に会いに来ると手紙にあったので、その時会いたいなどと誘いが来ても無視しよう。
これまでは、はがき一枚「会えません」とだけ返事を出していたけど、それも止めよう。
無反応が続けば、さすがに何か気づくのかな・・・。
それでも、彼らは自分に嘘をつき続けるのかな・・・。
少なくとも、「礼儀を無視して無反応を貫くことが出来た自分」に手ごたえを感じられるのではないかと期待しています。
あとは、今まで通り、職場などで、一つずつ試行錯誤を続けて、「自分が恐れている「見捨てられ」は起きない」ことを経験していくしかなさそうです。