シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

母親について

母親は、兄に絶縁される5年前までは、世話はこまめにしてくれました。これには感謝もしています。
口うるさい面もあったけれど、おかげで常識が身についたとも言えます。
思いやりや想像力は、父親と同じく絶望的なほど欠落している・・・のか、己の不幸ゆえに、敢えて放棄したように見えます。
子どもを支配したり、嘲ったりすることで、心の均衡を保ってきたのでしょう。
己の人生を引き受ける覚悟に欠けるために、幸せを逃しているようにも見えます。
不安が強いので、不安感に比例して、ターゲットをよりきつく縛り、支配しようとします。
年齢とともに、表面的な気遣いさえなくしています。
 
彼女のキーワードは「私はいつでも無罪」「押し込めてきた怒り」「いつか白馬の王子様が・・・」
 
「私はいつでも無罪」
夫がモラハラで私は苦労してきたから、他では言えない愚痴をお前に言うしかない。
   (中学生の娘に、夫の浮気話から、祖父母の悪口まで吹き込むのは”仕方ない”)
 
極めつけは、兄に絶縁された後、兄のことを話していての言葉。
 「批判されたくないなら、耳に入れなければいいじゃないの、ねぇ?」 
私の中でずっと引っかかっています。
全部相手が悪いらしい。
相手が受け入れてくれることを期待して話すのに、「批判されるようなことを言う方が悪い」
 言い方が悪かったかもとか、
 そもそも私が口出し(批判)していいことじゃなかったのかも、という視点が全くない。
 
母に幼少時のトラウマがあるのかは私には分かりません。(終戦時の引き揚げ体験がトラウマになっているのでは?と想像はしています)
モラハラ夫のストレスは、耐えがたいものだっただろう、とは推察できます。
父親は、思いやりがない、亭主関白などの問題はあるけれど、身体的暴力や、金銭問題はないので、生き残るためには離婚しかない! ってほどではない。
生活力のない母親が、我慢と諦めでやり過ごすしかなかったのは分かります。
 
このストレスの中で、「悪いのは夫で、自分じゃない」と思うことで折り合いをつけたのかも。
 
でも、この解釈が、いたるところに拡大して、過剰な甘えや要求も、「辛い私にはどうしようもなかったのよ。」と哀れな私を演じて、子供にケアをさせてきました。
 
 
 
「押し込めてきた怒り」
自分はモラハラ夫の仕打ちに耐えて、家族のためにがんばって来たのに、子供たちも巣立って、勝手にやっている。
これまでの私の我慢は何!! どこで報いてもらえばいいの!
  な怒りが、彼女の無意識には渦巻いている気がします。
 
少なくとも私の幸せは気に入らないらしい。哀しい現実です。私がプチ不幸だと嬉しそうです。
表面では、「子供の幸せがお母さんの幸せ~」とか、「幾つになっても子供が心配」と言っていましたが、実際には、「自分に火の粉が降りかからない程度にちょっと不幸でいて」が本音だと思い知らされてきました。
義母が亡くなり、夫実家が大変と知ると、火の粉が降りかかっては嫌とばかりに、この話題には一度も触れずにいます。 知りたがり、干渉したがりの母親からすると不自然です。
 
結婚後、友人と海外旅行に行けば、「主婦が家を空けるなんてとんでもない」と干渉し、
歯列矯正すれば、「どうせ60代には入れ歯になるんだからね。」と底意地の悪いことを言い、
私が可愛がっていると知っている犬が病気と知れば、「トシなんでしょっ。はっはっはっ。」と笑い飛ばし、
微熱が何か月も続いていると言えば、「なぁ~んね、まだ治らないの!」と嘲りとともに責める。
 
自分が不幸だと、他人も同じところに引きずり込もうとしたり、クレーマーになったりすると聞きますが、母親はこのタイプ。多少満たされていた時期は、表面的な気遣いはありましたが、兄に絶縁されてからそれも消えていきました。
 
 
「いつか白馬の王子様が・・・」
夫は変わらないと諦めて、趣味を増やしたり努力していました。
が、こういう表面的な努力はしても、自分の心の救済には目が向かないようです。
心の奥底では、「誰か、私を幸せにして~」 と、自分の人生丸投げして、心を満たしてもらうことを夢見ている感じがします。
というより、「結局自分で何とかするしか、自分を救う道はない」という真実を受け入れる覚悟をするのを避けているようです。
これは大変なこと(私も出来ているとは言えないし(^^ゞ)なので、避けること自体は「母親の選択」と認めますが、人生の重荷を私に背負わせようという気配がいやでたまりません。
特に、兄に絶縁されてから、あからさまに表に出るようになりました。
老後の世話を私にさせようと、ちらちら匂わせたり、便利に使おうとしたのには怒っています。
 
 
母親は、幼少時のトラウマなのか、モラハラ夫のストレスなのか、「教育・しつけ・世話の一環」として、私に干渉し、支配し続けてきました。
母親には、現実(モラハラ男を自分が選んだせいで、夢見ていた幸せ結婚生活とはかなり違っていたこと。 老年になると、モラハラ夫でもいないと困るけど、いてもストレスな生活が続くこと。頼みにしていた長男に去られたこと)が辛く、 「私のせいじゃないもんね。私にはどうしようもない、仕方のないことなんだもの。誰かに何とかしてもらいたいわ。」と現実から目を逸らし続けています。
 
もともとないのか、途中でなくしたのか分かりませんが、思いやりや気遣いは消え失せ、今では、自分の要求を叶えてもらうこと、不安解消しか頭にないように見えます。
 
自分の抱えている問題に母親自身が目を向けないと、「私が近寄れば奴隷にされる」状態は酷くなる一方だろうな、と改めて思いました。
ストレス解消のために、嘲られたり、底意地の悪いことを言われたりも続くでしょう。
 
 
母親のこの姿は、私自身への戒めにもなります。
手近な現実逃避を続けても、不安や心の不安定さは育っていくだけ。
いずれ抱えきれなくなって、今より更に、辛くなってしまう。
そこにあると見えてしまった問題には、一度は向き合う(放置する、と決めたなら、それでもいいから)。