暑いので、わんこの散歩をさぼりたくなる時もあります。
親が飼い主だったら、どうするだろう。私が子供の時、どうされていたんだろう。
「今日は疲れたから、散歩はお休みね。ごめんね。」と素直に言えれば、
代わりに部屋でおもちゃで遊ぶとか、
食べるのに時間がかかるガムのおやつをあげてわんこの気を紛らせるとか、
フォローも出てくるでしょう。
翌日には、「昨日さぼったから、今日はわんこの行きたい道を歩いてあげよう。」になるかもしれない。
たまのことなら、わんこも不満を消化できるでしょう。
彼らのやり口はこうでした。
事実は、「自分が疲れて面倒だから散歩は休み」なのに、
・老犬だから散歩は一日一回で十分だ or 時々は散歩を休んで休養しないと
つまり、「お前の為に散歩に行かないのだ。」にすりかえる。
こうなると、
散歩に行けると思って気分が盛り上がっていたのに、連れて行ってもらえず悲しくなる
散歩に行かないのは親が理由なのに、自分のせいにされて、濡れ衣を着せられたくやしさを 味わうことに。
散歩に行かない理由を「お前の為だ」にされたため、不満を表すことが許されない
それどころか、「そこまで私のことを考えてくれてありがとうございます。」なんて言わされる
約束は破られ、その責任をなすりつけられ、理不尽に約束を破った相手に感謝までさせられる。
それでも不満を表に出すと、「お前は考えが浅い」だの嘲られたり、「お前のことを考えてこうしているのに、理解できないのか。」と怒られたり。
私が育った家庭はこんなでした。
親は理不尽な屁理屈を押し通すことで、
散歩をさぼった後ろめたさ、
散歩を休んだ穴埋めをする手間、
散歩をさぼったことがあるという不名誉(?)からは解放され、
更には、「私を大事に思ってくれてありがとう。」と感謝までされる。
「自分は散歩をさぼったことなどありません!」と堂々と胸を張る。(わんこのために休んだことはあっても、自分の怠け心でさぼったことはないから)
この美味しい方法が大のお気に入り。
なんて矮小なやり方なんだろう。
私はせめて、「今日は疲れたから休みだよ。ごめんね。」と言える人でいたい。
今思えば、ここで言う「散歩に行けなかった悲しさ」より、そのあとに続く理不尽が何十倍も辛かったです。
たまに「散歩は今日はお休みだよ、ごめんね。」があっても、「ごめんね」があれば我慢できたけど、この理不尽にさらされ続けて、私はACになってしまったんですね。