シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

怒りの行先

思い出さないときも増えたのですが、ちょっとしたことで親への怒り爆発な私です。
 
子供の性暴力についての番組を見ました。
この中で、「親に相談しても、つい、「見知らぬ人には気をつけなさいって言ったでしょ。」とか親が言ってしまい、子供は叱られたと思い・・・云々」 と専門家のコメントがありました。
 
もし、私が子供の時に被害に遭って、親に相談したら、言われたな。
「お前の不注意だ。お前が悪い。」で終わりだっただろうな~
  (子供を責めても、対応もする親もいるだろうけど、私の親は放置かな。)
 
父親は前面に出て戦ったかもしれないけれど、私への思いやりではなく、
 「自分の車に傷をつけられた。」 とか、
 「自宅の壁に落書きされた。」 とかで怒るのと同じレベル・・・「俺の物に勝手に傷つけやがって。」な怒りだろうね。
 
なんて思って、見捨てられ続けてきた過去を思って悲しくなったり、
常に立派に親業を果たしてきたと自信満々な彼らに怒り心頭になったりです。
 
実際に事件が起きていたら、彼らがどうしたかは分かりません。
なので、こういうことを考えても無意味なのは十分わかっているのですが…。
 
 
過去を何度も蒸し返したり、
こういう場面なら、彼らはきっとこういう不快な対応だろうな、と想像したりするのは自分の精神衛生上も良くないのは分かっています。
 
こういう怒りがどこかの境地に辿り着くための道なのか、
単に同じところをぐるぐる回っているだけなのかも自分ではわかりません。
でも、どこかにつながっていると思いたい。
 
数年前はあれほど感じていた「親を捨てることへの罪悪感」はほとんどなくなりました。
残っているのは、「同じ人間が目の前で苦しんでいるのに放置することのへの後ろめたさ」程度。
何より自分が大事な彼らのこと、私が「さすがにまずいかな。」と思う状態になる前に、自分で何とかするでしょう。
福祉の力を借りても、更に必要な助けって、心理的な手助け以外あまりないので(夫実家で体験中)、現実的には私の出番はないということです。
(精神的な援助をする気は全くありません)
ここまでたどり着けたのも、ぐるぐる考え続けたからなんだろうな・・・と思うと、
今の怒りがどこかに自分を導いてくれるかもしれないと期待したりもします。
 
私の抑圧された怒りは、まだ怒り尽くされていない、というのだけは事実のようです。
まぁ、約40年分ですからね~。
 
モラハラ店長への5年分の怒り・嫌悪が「過去のもの」になるのに、一年かかりました。
この計算だと、親への怒りは10年以上続くのかも。
モラハラ店長は週1回ペースで合っていて、気持ちが落ち着くのに1年がかりでしたから、
3,4年で18年一緒に暮らした相手への怒りが収まらないからといって自分を責めるのは止めよう。