シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今、苦しいこと

私は今、何が苦しいんだろう・・・
ACからも少しずつは回復している手応えはあるけれど、
時々は楽になった自分を感じることもあるけれど、
やっぱり苦しいままです。
 
 
自分がまだまだACだ、という現実・・・自分の感情との回線がなかったり、細かったり・・・
   先日も「信頼」について考えて思いましたが、
   私には感じ取れていない自分の気持ちが沢山あります。
   子供の時に、自分の気持ちをありのままに感じることは危険でした。
    (親から嘲られたり、怒られたり、親に見捨てられる不安を掻き立てたりするから)
 
   気持ちを抑え込むようになった幼い時期は、「あの時胸がきゅーっと苦しくなった。」ことを
   覚えている場合もあります。
   無意識に抑え込みをするようになったんだろうな~という時期以降は、
   「苦しかった」記憶もほとんどありません。
   特別な事件のことは覚えていますが、「いつも見捨てられている感じがした。」とか、
   自分が育った環境のベースにあったものを感じるのを止めていたようです。
 
   自分の心とつながっていないのをぼんやりと感じながら生きているのも苦しいです。
 
 
親に対して複雑な感情が残ったまま
   夫は、家族の団欒は全くなく育ったそうで(夕食時、子供たちは事務的連絡事項以外       は全くしゃべらなかったそうです。父親に怒られるから)、親子の情愛だとか、家族の絆って
   俺には縁のないもの、とはっきりしています。
   で、親兄弟への無関心もあっぱれなほど揺らぎはありません。
   生死にも関心はないみたいです。
   義母の死後、義兄のことは気にかけていましたが、後見人さんが付き、相続も終わって、
   義父も週6日は施設で過ごすようになってからは、「どうでもいい」になっています。
 
   私は、楽しい家族の団らんや、家族旅行など、楽しい思い出もたくさんあります。
   でも、親に見捨てられたり、感情を出すことを禁じられたり、バカにされたり、も限りなくあり    ました。
   両方あると、好きと嫌いの間をふらふら揺れて、定まらないのです。
   これが私の愛着障害タイプ「かまってほしいけど、一人にしておいてほしい」という
   矛盾タイプを作ったようです。
 
   「あんな人たちは知らない」と怒り心頭で切り捨てるときもあれば、
   「いいところもあったのだから、何とかうまくいく方法はないだろうか。」と思うときもあります。
   DV被害者が、「あの人にも優しいところがある。」と言って加害者から離れずにいるのと
   同じ心理状態です。
 
   こうやって揺れてしまうのが私だから仕方ない、と受け入れられる瞬間もありますが、
   定まらない不安定さが苦しい時の方が多いです。
   (でも、つきあわない、は死守!と言い聞かせています)
 
地雷原ならぬ、トラウマスイッチ原での生活
   気持ちの整理も少しは進んだかと穏やかに過ごしていても、
   ちょっとしたことでもやもや状態に引き戻され、苦しくなります。
   これを避けることは不可能です。
 
   親がきつい口調で子供を叱り飛ばしていたりすると・・・
       自分がぐずったときに、父親に冷たく突き放された記憶がよみがえって悲しくなり、
       父親の他の言動も思い出して怒ったり、悲しくなったり。
 
   犯罪加害者が虐待されていた・・といった情報に接すると、
       どうして虐待して、犯罪の遠因を作った親はのうのうとしていているのかと憤ります。
       「自分たちは正しい子育てをやり遂げました。」といけしゃあしゃあと胸を張っている        親への怒りが蘇るからです。
 
   理不尽をやっている人を見ると、
        「この人って、何かトラウマがあるのかな?親への怒りを
        他人に転嫁しているのかな?」という視点で見てしまうため、
        また親がらみのあれこれを思い出す。
 
   自分のACな面、生きづらさを実感すると、また思い出す。
 
日常生活の中に、思い出すきっかけがいくらでもあるので、苦しいのです。
 
どれも、完全に克服しました! にはならないことばかり。
折り合いをつけて生きていけるようになりたいですが、まだまだです