シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

信頼

信頼も私にとっては分からない感覚の一つです。
 
信用は分かる。
 約束を守る(守れなくなったら連絡をくれる、も含めて)、
 返事の必要な連絡をした場合は、返事をくれる(今は忙しいから後日ね、も含めて)この類。
 
信頼は分かりません。これも理性では分かっていますが、感覚として、
 「あぁ、この人は信頼できるな。」とか、「この人は私を信頼してくれているな。」とか
感じ取ることが出来ません。
 
正確には、「どうやら信頼してくれているようだけど・・・?」止まり。
 
そもそも、子供の時一番身近にいて、一番信頼したい相手=親を信頼できなかったので、
信頼って何ですか状態なのです。
 
わんこは私を信頼してくれているようです。地震の時、飛び起きて私の足の甲に座ったり、
動物病院での診察の時、私が一緒の方が落ち着いていい子でいます。
これが「信頼」なのかなぁ とは思うのですが、もどかしいほど心にすとんと落ちてきません。
 
甘えてアピールするのは、他に言う人がいないから、かもしれませんが、
困ったときに頼ってくれるのは信じてくれているからだと思うのですが・・・
 
夫にも、「わんこの愛を疑うなんて、わんこが可哀そうだ。」 と言われます。
 
 
でも、「何かあったら、命に代えても子供を守る」とか
    「家族が一番大事」 とか
    「困ったことがあったら、何でも親に相談しなさい。」 と言い続けていたあの人たちは、
簡単なことなら助けてくれても、ちょっと難しいことになると、
 「お前が悪い。」と私を責めるだけで一緒に考えてもくれなかったり、
 気づかないふりしてスルーしたり。
 
保護者=気まぐれに見捨てる人たち だったので、今冷静に振り返ると、とても信頼できる人たちではないのですが、子供の時はそんなことに気付けるわけもなく、
「見捨てられるのは私が悪いから。いつも助けてくれるはずの人たちに見放されるほど何かへまをやったらしい。」
こう思うしかなかったようです。
 
信頼できる相手もおらず、信頼感を抱けずに育ってしまいました。 
色々な感情を体験しながら覚えていく子供の時に、体験できなかった感情は
大人になってから身につける、感覚を体得するのは至難の業のようです。
 
 
こうして、「毒親の呪い」がまた一つ新たになる度に、親へのマイナス感情が募っていきます。
とても「赦す」なんて出来ない気がする。
 
毎度言っていますが、本人たちが「自分たちは立派な親で非はない」と信じきっていることに一番腹が立つのです。
 
 
愚痴を言っても仕方ないので、
わんこの瞳の中に自分への信頼や愛を探してみる今日この頃です。