「親に会わない」は今は動かす時期ではないので、動揺が続かないように、
昨日のうちに、「会えません」葉書を投函しました。
でも、まだ気持ちの整理がついていません。
・混乱しているな~
・「自分の気持ちは無視して、親の希望通りにしないといけない」の呪いが再稼動しているな~
と、ちょっぴり離れて自分を観察できる瞬間が増えているのは進歩ですが・・・。
自分の気持ちより、まず、親がどう思うかばかり頭に浮かぶのです。
親は私が避ける理由が全く分かっていないので、少しはがっかりするかもね。(かわいそう)
何だあいつは!と怒るかも。(別にいいけど) とか。
今回来るのは母親だけなので、
「お父さんが嫌なのは分かるけど、私にも会いたくないの??」になるのかな?とか。
親が優しくしてくれたことが蘇って、会わないことに罪悪感を感じたり。
それほど気持ちが入っていない相手でも、遠方から来るから会いたいと言ってくれたのに断るのは気が引けます。
母親が会いたがっているのは本当だろうから(無意識の理由は"娘を再び支配下に置きたい”が何割かあるだろうけど)、相手の希望をはねつけるのは私には大変なことです。
これまでの「とにかく相手に合わせる」と真逆のことをするわけですから。
静かに自分に問いかけると、
「会いたい・会ってもいいと思っている自分」が考えているのは、
・長い付き合いの母親と、穏やかに過ごしたい
・母親も70歳になったので、今後どうなるか分からないから、機会を逃さない方がいいので は?
・母親の生い立ちとか、父親への思いとか、子育て中のこととか、聞いてみたい。
「会いたくない・会ってはいけないと思っている自分」が考えているのは、
・例え嫌なことを言われたり、されたりせずに過ごせても、
「もしかしたら」の緊張感の中では、私自身が心穏やかに過ごすのは無理。
・「自分のことばかり話す」は老親だから、と受け入れるにしても、
私にあまりに関心がないことに落胆するだろう。
私と会いたいのではなく、都合のいい相槌を打ってくれる便利な人が必要なだけなんだ、
とまた思い知って悲しくなるだけ。
・「人と会う事」を受け入れる方向に今傾いているのは、先日古い友人に会って
楽しい時間を過ごせたいいイメージがあるからで、母親とそういう時間を過ごせるというの は幻想に過ぎない。
なぜなら、母親は私を尊重するスタンスはないし、私の言葉の端々をチェックして、
○・×をつけるのが大好きだから。
「そうなんだ~」と聞き流さず、批判・嘲笑する。
「会いたい」と「会いたくない」
両方の気持ちが自分にあることを否定せず、このままゆっくり過ごそうと思います。
自分に言い聞かせるのは、この言葉。
「長年一緒に過ごした人だから、楽しい思い出や、優しくしてもらったことも沢山あるだろうけど、
元に戻れば、酷い虐待を受ける生活になるだけ。
自分がこうすれば、相手が良くなるってことはないのだから、 気持ちを強く持って!」