シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ぐるぐるの理由

自分でも、どうして親のことをぐるぐる考え続けるのかな~と不思議です。
 
彼らの本性も見えて、付き合わないと決めて、実行中。
このまま一度も会わずに、永遠の別れになっても、大丈夫だろうと思っています。
動揺したり、後悔したりもするだろうけど、あの時、精一杯一生懸命考えて出した結論が「絶縁」だったのだから、この結果も、ああいう親を持った不運の一部なんだ、と受け入れられるかな、と思っています。
 
なのにどうして、同じところに留まってぐるぐる考えているんだろう?
 
先日の「腹痛事件思い出し」で一部見えました。
「自分の感覚をありのまま感知できない。」 し、
      「自分の感じたことを根拠に結論を出していいんだ、と心から思えていない。」
 
あの時、親に「盲腸じゃなさそうだから、大丈夫だろう」と様子見された時、心細くて、痛みと不安の中に放置されて悲しかった。
 でも、「夜中に起したことを怒られなかっただけましだった気もする」とか、
     「大人の冷静な目で見たら、大丈夫そうだったのかも。」とか、
     「思いやりのある親でも、普通は様子を見る場面だったのかも。」とか、
 親のやり方が正しかったのかも、 とどこかで思っている自分がいます。
 
私の親が、「平均的な良心や思いやりをもった人」とあまりにずれているので、
「いやいや、幾らなんでもこんなに酷い人はいないだろう。」と思ってしまうのかな?
 
親が妥当だったのかも、と思ってしまう感覚がおかしいのは分かります。
 
今、夜中に体調が悪くなって夫を起したのに、
 「大丈夫なんじゃないの? 明日(一人で)病院に行けば?」と言われたら? 
 「”離婚を考えた瞬間”の閻魔帳」に即!記入です。
 
ここ二日続けてわんこの胸焼けで夜中に起されていますが、
  まだ自分の微熱が酷くてしんどいとか、
  明日はパートだからゆっくり寝ていたいとか、そんなことは思いもしないし、
わんこの体調が落ち着いて、本当に眠るまで側で見守るし、
わんこが寂しくなって呼んだら、側に行く。
わんこが苦しそうにしているのに放置なんてありえません。
 
親がおかしいのです。
でも、なかなか「確信」になりません。
これが、毒親の呪いと言ってしまえばそれまでですが・・・
 
親以外の人にされたなら、「相手がおかしい!相手が間違っていなくても、私は不愉快だし、悲しいし、怒っている!」と感知できることでも、加害者が親だと急に分からなくなってしまいます。
あまりに近づきすぎると、ぼやけてはっきり見えないような・・・そんな感じです。
 
一つ一つの事件を思い出せないだけで、一体どれだけ「親が面倒だから不当に放置」
「親の都合と衝突したから、無視」され続けていたんだろう・・・
こんな強い呪いがかかるほどだったんだ、と思うと、われながらよく心も壊れず生き延びてきたもんだ、と自分を褒めたくなります。
 
全うな感覚が戻るのには、まだまだ時間がかかりそうです。