昨日、小学生の時の腹痛事件を思い出して、久々にじんわり凹んでいます。
酷い扱いが当たり前だったせいか、「これは酷すぎる!」と声を大にして言えたことも、次の瞬間には、酷いと言っていいのかな? 本当は大したことではないのかも? と揺らぎます。
この事件は、どう考えても酷いよ!な気持ちが珍しく続いています。
改めて文字にしてみると、どの程度の酷い扱いを受けていたのか、自分を誤魔化せなくなっています。
いかにこういう扱いが「当たり前の日常だったか」も改めて見えてきました。
7,8歳の頃の自分は、親がその気にならなければ、私がどんなに苦しくても助けてもらえないと思い知っていました。(実際にそうでしたし)
正直細かいエピソードはあまり覚えていないのですが、どんなに困っても助けてもらえない苦 しい体験の積み重ねでこういう考えになったとしか思えません。
「見捨てられ体験」は日常だった証拠です。
文字にしてみると、かなり酷い扱いだったこの事件が、
「沢山ある嫌な経験の一つ」に過ぎない~と記憶に埋もれていたのも、
虐待がいかに「日常の一こまだったか」の証拠です。
下手に夜中に親を起すと、心配しても手当てもしてもらえない上に、怒られるかも・・・と思って、しばらく我慢していました。
(実際には、家にある薬を飲ませる、くらいはしてくれたと思いますが・・・)
でも、痛みは続くし、我慢できなくて親を起しました。
そんな(苦しいまま放置されて余計惨めになる危険を冒して)一か八かの賭けに出たのに、
様子見されたんですよね・・・
優しく介抱してもらった記憶もありません。とにかく痛くて苦しかった!だけ。
親は「盲腸かどうか」にこだわるばかりだった、だけ。
このとき親がすぐに病院に連れて行くなり、介抱するなりせず、様子を見ていたのは、
「面倒だったから」でしょう。面倒だから、「明日で大丈夫だ」ってことにしたのです。
救急病院に連絡して連れて行くのも眠いし、面倒。
病院に行くとして、その間兄と姉をどうするのか考えると、出かけるのが億劫になった。
・・・私の状態で判断したのではなく、自分達の都合でどうするか決めたんですよね。
あの人たちは。
これが平日、父帰宅直後、かかりつけ病院は診察中だったら、
すぐに連れて行ってくれたかもしれません。
結局、病院で出してもらった薬を飲んだらその日の内に治ったので、大病ではありませんでしたが、それも結果オーライだっただけです。
腸閉塞とかの可能性もあったわけですから・・・。
親がしてくれたことをあれこれ思い出して、
もう付き合うことは出来ないけれど、あの人たちなりに、私を思ってくれた瞬間はあったと
思いたかったみたいです。
現実には、「愛情」ではなかったけれど、彼らには「愛情のつもり」があった、と思いたかったけど、それも、もう駄目ですね。
自分が惨めになるだけです。
これだけのはっきりした証拠を突きつけられたら、諦めるしかない。
大げさに言えば、彼らは私の命より、自分たちの「面倒臭い」を優先したのです。
どう言い繕おうと、私は「どうなってもかまわない存在」だったのです。
酷い扱いを受けてきたけれど、世間的には虐待とは言えないレベルの積み重ねだったのかな・・・という思いがありました。
「あなたは虐待され続けてきたんだから、もういいんだよ。」
というお墨付きがもらえない心もとなさはありましたが、それからは解放されました。
これは立派な虐待です。
代わりに、現実逃避は出来なくなりました。
散々自分で「親に愛されなかった」と言い続けているのに、こう言うのもなんですが、
現実を認めて、「私は親に愛されませんでした。」と消えないハンコを自分に捺すのが恐かったんだと思います。どこかで一部だけでも否定したかった。
あの人たちにいつも愛されていたとか、愛されたいとはもう思えないけれど、
「自分をこの世に生み出した親という存在にすら愛されなかった自分」
という現実を100%受け入れることから逃げていたのでしょう。
もう、逃げられないところに来てしまったと気付いて、しみじみ凹んでいます。
でも、現実を受け入れたら、きっとさっぱりして、新しい力がわいてくると思います(*^^*)