シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

レッテル貼り

私の気持ちの整理は、「レッテル貼り(定義)」が重要だな~と思います。
 
定義できると、格段に楽になります。
 
モラハラ店長も、「モラハラだ」って自分の中で命名してからは、嫌なことがあっても、
「まぁ、奴はモラハラだからね。」 で、私の気持ちは一応解決。
モラハラ」の一言の中に、
  ・こういう嫌な言動をする人
  ・話し合いの余地のない人
  ・離れる・黙殺するしか対処の仕様がない人
などなど・・・の全てが含まれているので、一言で終わることが出来るし、対処法がない、と確定済みなので、「どこか自分も対処が悪かったんだろうか」とぐるぐる考える必要もありません。
相手がおかしい(通常の人付き合いルールが通じない、という意味で、”私が正しくて、相手が完全に間違っている”ということではありません)ので、どうしようもないから、何もしなくていいよ、と放置する自分にOKを出せます。
 
 
困るのが、まだちゃんとしたレッテルのない人と、レッテル貼りに抵抗を感じる場合。
 
モラハラ店長のように、いかにも!な人には、レッテルを貼るのも抵抗はないのですが、
大抵は「私が他人に勝手にレッテルを張ってもいいのか?」でまず悩みます。
 
私とは合わないけど単なる個性なのか、
個性を越えた、人格障害とか、心の病とか、”あの人はおかしすぎる!”と思うのももっともなことなのか、
で迷ってしまうのです。
 
最近は、
共通の知人に言いふらすのでなければ、私がどう思おうと自由だし、
(どうしても誰かに言いたい時は、悪口の相手と接点がない人に言う)
私にとっては「我慢と想像の限界を超えた、困った人」なのだから、嫌いでも仕方ないし、
離れても良いし、レッテル貼っても、悪口を考えたっていいんだ、とやっと思えることが増えてきました。
 
以前は、特に私を利用しようとする類の嫌な人から離れるのが難しかったです。
親と同じタイプの人からは、どんなにイヤでも離れる自由がないと思い込んでいたからです。
 
父親は、自己愛性人格障害アルコール依存症、情性欠如者、モラハラ加害者と勝手に命名
母親は定義するのが難しいです。私に対しては情性欠如者なのですが、私が子供の頃からそうだったのか確信はないですし。まだ母親を好きでいたいのかもしれません。
まだ、母親には私の求める暖かい愛があったと思いたいのかもしれません。
 
私の中でしっくり来る定義が出来たら、もっとさばさば出来ると思うのですが・・・
まだその言葉には出会えていません。