シンプルライフへの遠い道

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情性欠如者

情性欠如者といって、良心や羞恥心、思いやりや労わりの気持ち、優しさや自省といった人間的な感情を全く欠いた異常性格者がときおり存在する。・・・・(中略)・・・・一目で彼らの異常さを見抜くことは困難である。
                    何をやっても癒されない  精神科医 春日武彦著 より
 
本を読んでいて、「情性欠如者」というキーワードを得ました。
ネットで調べると、ドイツの精神医学者 クルト・シュナイダーが10分類した精神病質の一つのようです。
 
 
私に対する、私の親の態度そのもの! と、親に新しい定義が追加されました。
一人の人間として、彼ら全体を見通したとき、「情性欠如者」なのかは私には分かりません。
微妙に違う気はします。
でも、私にとっては「情性欠如者」なのだから、私は彼らをこう呼ぼう。
他の人にとって、彼らがどんなに善良な心温かい人たちでも、私にとっては違うのだから、私には関係ありません。
 
 
母親は、以前は多少の思いやりもあった気がする(あったと思いたい)のですが、
縁切りを決意した3年前はもうダメでした。
多分、私が母親の優しさだと思っていたのは、私への労わりや思いやりではなかったんだと思います。
私の希望には関係なく、母親自身が、こうするべき、こうしたいと思うからしていたことが、
たまたま私にとって嬉しいこともあっただけなんだろうな~と思います。
でないと、認知症でも、他に大きな問題を抱えて一時的に他人への気遣いが出来なくなった状態でもないのに、あそこまで私の気持ちや都合を無視は出来ないと思うのです。
 
 
父親は、私が小さい時から、自分のことしか考えていないし、家族にも興味がありません。
自分が、「一家を構えた一人前の男、よき父・よき夫としての評判を得たい(自信を持ちたい)」から家族を持っただけなんだろうな~と思います。
 
モラハラ店長とも、300回位一緒に働いたうち、数回は和やかに世間話をしたことがありました。
それと同じ位の頻度で、父親が気まぐれで家族サービスしたいと思ったから(あるいは、「家族サービスするいいお父さん」な自己イメージが欲しかったから)家族旅行などに連れて行ったのかもしれません。(それでも年に数回にはなるのです)
 
今、私が本当に自分たちの役に立たないと理解したら(私が縁切りを永続させるつもりらしいと現実を受け入れたら)、何のためらいもなく、あの人たちは私を切り捨てるでしょう。
 
一つ定義が増えて、気持ちも落ち着きました。