親とは心理的にも絶縁したいのですが、「育ててもらった恩」が顔を出してなかなかすっきりしません。
さんざん嘲られて、彼らのストレス解消に使われたのだから、恩は返した! と思うのですが、
そもそも、わが子を育てるのは親の義務なので、恩も何もない!と思うのですが、
それだけでは、縁を切るには、後ろめたさが残って困っていました。
いい理屈が見つかりました。(自分が納得できればいいので、屁理屈でいいのです)
「かれらは”絶対的優位”と”絶対的支配”を存分に楽しんてきた。」
これは、一般人だと、人間相手には、わが子にしか振るえない支配です。
どう取り繕おうと、親は子供に対して絶対的な支配権を持っています。
全ての決定権がある、と言い換えることも出来ます。
衣食住、習い事、進学先・・・お金が絡むことの決定権はもちろん全て親。
子供は希望を言ったり、泣き喚いて抵抗したり、親が気に入る振る舞いをして頼み込んだり、
は出来ますが、親が応じなければ、子供の希望は何も叶いません。
交友関係もある程度決められます。
特に小さいうちは、Aさんと友達になれ!と強要は出来なくても、Bさんは気に入らないから付き合っちゃいけない!は出来ます。
言うことを聞かないなら、・・・するぞ!と脅せば簡単です。
子供は親に命を握られているし、他に逃げ場所がないので、結局親に従うしかないのです。
家出しても、連れ戻されれば酷い仕打ちを受けるだけ。
家出しても生活していけないのを子供はよく分かっています。
かまってあげるか、気持ちを向けるかどうかも親が決めています。
子供が望んでも無視すれば済むのに、子供は親に愛されたいので、親を本当に無視し続けることはないですから。
多くの親は、子供に不当な権力をふるって虐げてはいません。
でも、「虐待しようと思えば出来る立場だけど、しない。」ことを選んでいるだけなのです。
この選択権を握っているのはとても気持ちのいいことです。
自分は相手(わが子)の全てを決める権限を持っている。
子供は逃げ場所もないので、結局は自分に従うしかない。
自分はしようと思えば、相手(わが子)の全てを支配できる。
相手(わが子)が自由にのびのび振舞ったり、好きに発言したりしているのは、
自分がそれを許してやっているからにすぎないのだから。
この支配の感覚は、すっごく気持ちがいいです。
常に上から目線でよく、本当の意味で相手が反抗したり、逃げていなくなったりして自分を拒否する心配もありません。
(実際には、大きくなって親に暴力を振るったりして"復讐"される場合もあるのですが)
他の関係では、相手が自分を拒否して去るかもしれません。
自分の言動がまずければ、苦しい立場に追い込まれるかもしれません。
なので、好き勝手にしたい衝動があっても、押さえないと社会で生きていけません。
でも、わが子相手には好き勝手に振舞えるのです。
私は子供はいませんが、わんことの関係で考えるとよく分かります。
わんこの世話の内容、この世話をするかどうか全てを決める権限がある=わんこが幸せに生活できるように世話をする責任がある、なので、責任は重いのですが、自分以外の命を一つ握っているのは、何だか自分に力がある感じがして心地良いんだな、と気付きました。
常に下から見上げてくれる存在がいる心地よさ、と言えば分かりやすいかもしれません。
相手から拒否される心配がなく、
自分が全ての支配権を握っていて、
相手がいつも下から見上げてくれる。
ちょっとの努力で相手が愛してくれる。
(子供は親の保護がないと生きていけないのを本能で知っているので、「親に愛されたい、親 は正しい」と思っています。親の保護をいつも得られるという安心感のためにも、親と愛情で結 びつきたいと強く願っているので、わが子の愛を得るのは、他人の愛を得るのより格段に簡単 だと思います。)
子供が順調に育っているのは、自分の子育ての成果だと達成感と満足を味わえる。
なんて美味しい関係でしょう。
その上、子供がいると、他に何も自信の元になることがなくても、自分は社会の一員だ(なぜなら、次世代に命をつないでいるから)と思えるおまけ付きです。
私の親は、この支配権を存分に楽しんできました。
子供の時は、その代わり、世話をしてくれましたが、
今は、自分たちは何の負担もせず、この支配権を行使し続けて良いと思っています。
なので、私の生き方に口出ししたり、やりすぎれば拒否されると思いもしないで、
馬鹿にしてあざけったり、便利に使おうとしたりしてきたのです。
この楽しい支配権の代わりの子育てだった、と思えば、「親への恩」のかけらもありません。
私の親は、この支配権を悪用してきたのですから。
うん、やっと自分を納得させられる理屈が見つかりました*^-^*
心おきなく、精神的にも 絶縁生活 送ろうと思います。