少しでも気楽に楽しく生活できるように、変えられるところは変えていきたい。
実際に、亀の歩みではありますが、進んでいます。
・あまり親しくない人の集団の中にいても、緊張しすぎず、気を使いすぎず、
そこそこ楽しくいられることが増えました。
以前は、気を使って、自分が楽しむなんて思いもしませんでした。
どこかで、批判・チェックの目が光っている気がして落ち着かないので、
他人が楽しく過ごせるように気を使って、他人の為に動いている方が楽でした。
・体調に合わせて休むことを自分に許せるようになってきました。
・体調が悪くなっても、自分を責めることが減りました。
これを実感するたびに、わが親の虐待の酷さを思い知ります。
風邪を引いて非難される
大したことないだろう、と勝手に”私の不調や辛さはないことにされる”
夫婦でこれが続いたら離婚だよな~ 思いやりなさすぎ。
妻が風邪を引いて倒れても看病してくれない、
自分のこと(食事)しか心配せず、妻子のことは知らんぷり
(誰が世話するの?病人の私?)
・・・で、愛が冷めたと聞くけれど、
更年期障害や妊娠中で体がしんどいのに、「誰もが経験すること」と冷たくされた、
・・・ってのも聞くけど、
そんな体調不良は存在しない(嘘だろう) とやられた話は聞いたことがないです。
こうやって、少しずつ新しいやり方を試すのには、エネルギーが要ります。
自分のためになることでも、新しいことをやるのは大変です。
新しいやり方を試す為に、確信していなくてはいけないことがあります。
私は親に酷い扱いを受け続けてきた。親のやり方は間違っている。
ということです。
気がつくと、新しいやり方(体調に合わせて休むとか、自分の希望を言葉に出すとか)の方が間違っているんじゃないか? 自分勝手なのかな? と、古い考えが頭をよぎります。
それを食い止めるには、
私を食い物にしてきた親のやり口がおかしかったんだ!
私は、自分の幸せの為に、新しい方法を試すんだ!
と何度も思って、いつも自分を励ましていく必要があります。
その度に、親の言動を思い出して腹を立て、哀しくなり、時には木刀で親を叩きのめしたくなるのですが、それは仕方ないです。
本の中には、
親自身も辛い思いをしてきたんだとか、
奥底にはあなたへの愛情があったはずだからそれに気付いて、許す努力をするようにとか、
書いてあるものもあります。
これを読むと、何年経っても親への怒りが続く自分がいけないのかな?と思います。
いえ、いいんです。こういう主張は私に合わないだけです。
わたしは、
加害者がどんなにいい人でも、気の毒な人でも、被害者にはそんなことは関係ない。
加害者が心から謝罪・反省して、言動を改める努力をしない限り、許す必要はない、
(時間と共に、許しにたどり着ければいいですが、許せなくても仕方ない)
と思っています。
私は自分のやり方で進んでいけばいい、 と自分を励ましながら、ゆっくり進んでいこうと思います。