親と話が出来るか? と考えながら、話しやすさ&ストレスレベルを整理しました。
どんなに親しい相手でも、礼儀はあるし、人によって話題は選びますが、話すときのストレス度で分けると、私の場合はこんな感じです。
1.割と何でも話せる・・・夫や親しい友人など
ただの世間話から、悩み事や愚痴まで、話せる。
期待する反応が返って来ないこともあるけれど、
話題にしただけでなじられたりはしない安心感がある。
2.気楽に世間話できる・・・殆どの同僚やわんこ仲間、趣味の友達など
悩み事や心の奥深いところの話はしないけれど、世間話ならリラックスして話せる。
軽い内容の相談や、情報提供依頼等も気軽に出来る。
1,2泊の旅行なら一緒に行ってもいいと思える人が殆ど。
3.話題や態度に気をつければ、トラブル少なく話せる・・・裏店長や、
多くの50代以上の男性など
裏店長の場合、腹の立つ相槌が返ってくることは殆どないのですが、
基本的には自分が主役でしゃべりたい人なので、お株を奪って私が話し続けると
機嫌を損ねて攻撃されます。
話す割合を4:1くらいにすれば、和やかに時間が過ぎていきます。
中高年のおじさんは、年下&女の私が生意気(と相手が思うこと)を言うと、
不機嫌になったり、説教が始まったりすることが多いので、基本的には相手に合わせて
相槌を打つことになります。
何かの義理で大人数で一緒に食事をするのはいいけれど、
それ以上のお付き合いは遠慮したい。
ありがたい情報提供があったりはしますが、話すとき緊張するので、
長時間は無理です。
4.話題や態度に気をつけても、いやな目に遭うリスクが高い
・・・うまの合わない同僚、私の親、モモちゃんママ(仮称)など
私の親やモモちゃんママは、基本スタンスが嘲笑なので、話の内容に関係なく、
嘲られることがあまりに多いです。
うまの合わない同僚は、気持ちを白けさせる相槌が大の得意。
ペットの話をすれば、「もう寿命近いんでしょ?」
好きな食べ物の話をすれば、「猫でも顔を背けるわよ」
このカテゴリーの人には、自分の大切なこと(好きな家族やペット、趣味など)、
楽しみにしていることは特に話せません。
無礼な批判で嫌な気にさせられるのが落ちですから。
同じ無礼でも、私にとって大切なことにケチをつけられる方が、不愉快度が高いです。
出来るだけ顔を合わせたくない人たち。
5.天災としか言いようがない人たち
私が黙って、距離を取って、接触を避けていても、嫌なことを言ってくる人たち。
わんこの散歩中にいちゃもんをつけてくるおじさんがいます。
最初は、「うちの前でおしっこさせるな!」でした。その時、うちのわんこはその人の家の
近辺でおしっこはしていないのに、「ここを通る犬は100%おしっこをかけていく。」と、
とにかくしつこい。
「うちの犬はしてません!」と反論すると、道を確かめて、「確かにあんたの犬はしてない みたいだけど・・・」 と更に文句たらたら。
その時は、マナーの悪い飼い主がいて、余程ハラがたっているのだろう、と
自分を納得させました。
数年後、その道を通ると、またそのおじさんがいる。
おじさんを避けて、道の反対端をこっそり足早に通っているのに、わざわざ寄って来て、
「あんたじゃないみたいだけど、こうやってウンチを片付けない人がいて・・・云々。」と
怒りを私にぶつけてきました。
この手の文句、犬を飼っているので、ボヤキまでは我慢しますが、
怒りをぶつけられる理由はありません。
本当に家に近い通りなので、毎回避けて通るのも難しく、げんなり。
うまの合わない同僚も私にとってはこれに近いです。
同じシフトに入らなくなって約4ヶ月。引継ぎで週1回、5分ほど会います。
挨拶だけはして、話さないようにしていますが、
「裸足で寒くないの?」は2回やれましたし、先日このブログでも愚痴ったように、
紙袋を寄付していたら、「在庫がなくて困ったのよね」と文句をボゾリ。
挨拶しても気付かないのか、知らんぷりされる日もあります。
話しかけられないように距離を取ったり、彼女の着替え中は狭い更衣室に入らないよう にしたり気をつけてはいますが、狭い店なので、そうもいかないこともあります。
私が何も言わなくても、嫌なことを言われるので、お手上げです。
私の父親もこのタイプ。
私の顔を見るなり、喜んで嘲笑モードに入っているのですから。
父親は一人脳内娘との会話をやっているだけで、
現実には会話も半分は成立しませんから・・・。
こうやって整理してみると、自分の親と話すのは無理なんだと改めて分かりました。
「人間何があるか分からないから、大切な人とちゃんと話しておこう」は、
私のカテゴリーでは1と、2の一部。
私の親は残念ながら 4&5 です。
何も言わず、同席していただけで、暴言を吐かれるのは経験済みです。
(ご機嫌取りの会話をしなかったのが気に入らなかったようですが、
会話が弾むネタを振れなかったのは父親なので、おあいこです。)
友達のお母さんの訃報に接して、
自分の親という存在とじっくり話をしてみたい
という希望が湧き起こってきましたが、残念ながら、あの人たちはそれが出来る相手ではないのです。
嘲笑や決め付けに耐える覚悟で会話の席に着いたところで、気持ちの通う会話が成立する可能性は「ゼロじゃない」だけですし・・・(ToT)
実際、結婚してから自分がACと気付いて親と距離をとるまでの約13年、段々親がイヤになり、
最後の方では親に会うと思っただけで、数ヶ月前から気が重くなり、胃まで痛くなっていました。
それほど、会うと嫌な目に遭っていたということです。
親に会いたくないので、黙って帰省したことも何度かありました。
私の場合は、「老親と語らい」は、その時間と機会を設ける手間を惜しんじゃいけない、
ということではなく、実現が限りなく不可能に近い夢に過ぎないのです。
私にとって、「今は親とは会わない&話さない」と「おそらく自分の望む”語らい”のないまま永遠の別れになる(だろう)」ということは別のものだったようです。
今までも分かってはいたことですが、それでも改めて自覚すると寂しいし、哀しいです。