シンプルライフへの遠い道

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相対的剥奪

(ネットからの引用です)
社会学の用語だそうです。
相対的剥奪:relative deprivation
人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による、という考え方。この考え方によれば、人は自らの行動や態度を決定する際に、その指針となる基準を必要し、それを集団や個人に求める。
社会学マートンが準拠集団との関わりの中で論じた。
 
簡単に言えば、みんなが貧乏ならそんなものと受け入れているけれど、一部貧乏でない人もいる環境では、自分の貧しさを惨め・不満に感じる・・・こういう感覚のことだそうです。
 
私の場合は、「兄弟間の待遇格差」です。
 
子供たちの待遇に差がなければ、「うちの家はこんなもの」で済むけれど、
 ・他の兄弟は買ってもらえたり、してもらえることが自分はしてもらえない。
 ・自分はされるいやなことを、他の兄弟はされない。
 
こういうことが沢山あると、我慢ならない!のです。
 
子供の時は、「物を買ってもらえない」が自分でも分かりやすく、大きな不満でした。
 
今は親の態度差が許せません。
 
    姉には墓を買ったから見に来いとは一言も言わなかった(姉談)のに、
    私には、しつこく言ってきたこと。
        ・・・・・・しかも、「そのくらいの時間あろうもん」など、こちらの都合は無視して命令。
 
    姉の都合は気にして、姉に合わせようとするのに、
    私には、「お前はこの期間内に来ればいい。」など、言うことを聞いて当然という態度。
 
    兄に絶縁されてから、
      「お父さんも、○○(私の名)、○○、って言うっちゃが。」
       (このセリフを、”将来の世話を当てにしたいと思っている”以外に解釈できないです)
    と私にはプレッシャーをかけてきたけれど、
                     姉には、自分たちの老後の世話云々の話は一切なし(姉談)
 
兄弟にも同じように言っているなら、我慢も出来るけれど、
姉に聞き取りしてみると(兄とはこういう話はしていません)、待遇差がはっきりです。
で、余計腹が立つ。
 
 
モラハラ店長を何とか我慢して5年も過ごせたのは、「相対的剥奪」の逆。
モラハラ店長に嫌なことをされたり、言われたりせずに済んだ人&こじれない形で上手く言い返していた人は、同僚の1~2割。
殆どの人は、モラハラ被害を受けていました。それが原因で二人退職しました。
モラハラ被害を受けているのは私だけじゃない」=「私の言動が悪いのではなく、主因はモラハラ店長の人柄にある」という思いが私を支えていました。
                        それでも、モラハラ店長から受けた心の傷やストレスが
                        いえるにはまだまだ時間がかかりそうですが。