シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

わんこへの罪悪感 と 親子関係

わんこを飼い始めた頃から、わんこには申し訳ない気がしています。
 
私の勝手で連れて来て、
私の都合で小屋や部屋に閉じ込めて、
散歩に行くのも、遊ぶのも、食事の時間や内容さえ飼い主次第。
散歩の時には紐をつけられ、飼い主の都合でぐいっと引っ張られ。
                    ・・・・・・・・・・・・・私がわんこの立場だったやら、やってられない。
 
わんこを保護したのならまだしも、自分がわんこに癒されたいから連れてきたのです。
せめて、うんと大事にして、幸せに日々過ごしてもらいたい。
 
わたしがどう大切に世話をしても、わんこと私の関係は、絶対的な支配関係。
わんこは私に命まで握られています。
日本には、一応「動物愛護法」はありますが、
  私が一週間わんこを散歩に連れて行かなくても、
  病気と知りながら放置しても、
  家で殆ど無視していても、この程度では法的介入はないでしょう。
  わんこが待遇に耐えかねて逃走しても、車にひかれるか、保護されて連れ戻されるか。
  「強制収容所」状態です。
 
なので、「わんこにご奉仕」位の気持ちでお世話して、何とか自分のわがままや
自分とは別の命を拘束する傲慢さを自分に許す余地が出来る気がしています。
わんこへの後ろめたさはなくならないのですが。
 
 
常々、親子関係も「絶対的支配関係」と思ってきました。
 子供が親が苛めるからと逃げ出しても、明らかな虐待の形跡がなければ、
 親のところに戻されてしまう。 
 そもそも、親の保護がなければ生きていけないことは子供は本能的に知り尽くしているので、 逃げるという発想すら持つことが出来ない。
 
少なくとも、生活費を出していた間は、この美味しい「絶対的な優位性」を楽しんでおきながら、
更に「親孝行」を要求するなんて、何て厚かましい輩なんだろう・・・
 
親が「もう勝手にしなさい!」と言い捨てて去るとき、子供が親元を去ることが出来ないことが分かっていてやっているのです。
 
今読んでいる「結婚帝国」という本でも、こういう内容が出てきました。
自分と同じ感覚の人が少なくとも一人はこの世にいるのだと分かって、何だか嬉しかったです。
 
「支配」を「愛」と言い換えたあの人たちに、「お前達は親に愛されているのだよ」と変な洗脳を受けたんだな・・・
 
かつての支配下に戻らないように、
このことを常に自分に言い聞かせて、すぐに親と縁を切ることに気が咎めてしまう自分を励まそうと思います。