なかなか、「生きているだけでいいよね」って自分にOKを出せません。
世の中の役に立っていないと、
最低迷惑かけずに自立していないといけない気がしてしまう。
子供がいないので、「他に何もしていなくとも、次世代に命をつないでいる」という逃げ道もない。
仕事は週10時間弱。
一応専門職なので、間接的に税金で(大学への国の補助金という意味で)学ばせてもらった分 は、世の中に返しているかも知れないけれど、
「誰にでも代わりが出来る」わけではないけれど、その程度(と思ってしまう)。
わんこも手芸もあくまで自己満足の「趣味」
・・・実際には、我が家のわんこの癒しパワーに励まされている人がいるので、
「癒し犬のお世話」という形で社会貢献しているのですが。
先日のTVで、延命治療を拒んで18歳でなくなった女性の話を見ました。
8歳の時、心臓移植。 余命10年といわれ、次々他の病気も発症しながらも、
「出来るだけ自宅で家族と過ごしたい」という希望に素直にしたがって一生を送ったそうです。
私が自分を貶める時の視線
「世の中に対して次に繋がる役立ち方をしていなければ、存在価値がない」
という切り口でみれば、この人には価値がないことになってしまいます。
実際には、家族で日常生活を楽しんで過ごしたり、
メールのやりとりで交流を深める友人がいたり、で生活を楽しんでいる。
この人の生活をTVでみても、「価値がない」なんて全く思いませんでした。
それで十分なんだな~と思わせてもらえました。
・・・・そもそもTVに出て、多くの人に考えるきっかけを与えたことだけでも十分勇気があって、
なかなか出来ない、すごいことだと思います。
他の人に対して、「あの人はああだから、存在価値はない。」と思うことは殆どありません。
(再犯を繰り返す性犯罪者などは、”世の中に出てこないで”と正直思いますが)
それなのに、自分に対してだけは、何だか今のまま存在して良いと思えない。
もっと良くならないと(少なくとも厳しい努力を続けないと)ダメな気がする。
自己肯定感はまだまだ遠いです。
他者を傷つけたり、財産(時間や気持ちも含めて)を盗んだり、をしないように努力する。
それさえ出来れば、あとは、自分が楽しいように、生きていけばいいんだよ、って
自分に言ってみるのですが、なかなか心の深いところまで浸透していきません。
「お前の気持ちなど、取り上げる価値もない。」
「親の役に立たないなら、お前はいても仕方ない。」
親の呪いは根深いです。
呪いをかけられていることには気付きました。
呪いと交換したい考え方もイメージが出来てきました。
今はここまで。
呪いが解けるのはまだまだ先のようです・・・