シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

石の上にも三年

三年前の5月、「毒になる親」を読み始めたと一行日記にありました。
思えば、「私は親に精神的に虐待されていたのだ。親に愛されてはいなかったのだ。」
                          ということを受け入れるのが一番苦しかったです。
 
 
この三年、ぐるぐる考えてきましたが、親へのわだかまりは格段に減りました。 しみじみ。
 赦したわけではありません。
 彼らには彼らの事情や苦しみや自覚していない性格があって、
 私に接してきたんだろうな~ と、一歩離れた理解は出来ましたが、そこまで。
 彼らに接触しようとは思いません。
 
このまま一度も会わないまま、永遠の別れになったら、後悔するのかな?
たまに頭をよぎりますが、答えは NO.
 
彼らの生い立ちを聞いてみたい気はしますが、
自分の幼い頃の話は聞く気なし。
   (自分達の都合がいいように記憶が塗り替えられていることを知っているから。
    またがっくりくるだけです。)
 
義母が突然亡くなった時、
「夫の幼少時代の話も聞いてみたかったな~。
 義母自身のことも、何も知らないままだったな~。」
 と、少し感傷的にもなりましたが、後悔としては残ってはいません。
時間と共に、私達の関係はここどまりだったのね、と現実を受け入れることが出来ました。
 
この経験があるので、親と話せないままに終わっても、
義母の時とは比べ物にならないくらい色々な気持ちが襲ってくるでしょうが、
時間が経てば、「私の親子関係はここどまりだったのね。」になる気がしています。
この時の動揺は、親との接触を断った自分が払う代償なのでしょう。
 
 
ACな自分との付き合いも、ほんの少しずつ楽になってきた気がします。
 
「自分のことは横に置いて、誰であろうと相手を満足させなければ!」
                         という強迫観念は薄れました。
 
「何でも○か×か判定しようとする反射反応」も減りました。
    あるがままに観察して終わり・・・でいいんじゃない?と思えることも増えました。
 
「他人に嫌われたら、自分は生きていけない。」という恐怖も減りました。
    冷静に観察すると、私の接する人の殆どは、私に関心がないか、好意的。
    私を嫌っている人もいますが、私の人生に影響力を持つ人は殆どいません。
 
「全ての他人は私を批判し、ケチをつけようと見張っている!」な被害妄想も薄れました。
    そんなに他人を気にしている人はいません。
    私も含め、みんな自分のことで一杯です。
    母親に見張られて過ごした日々がこう思わせるようです。
 
    
私を生き難くしているACな部分は、減ってはいても、無くなってはいません。
多分、一生引きずっていくのだと思います。
生き辛くない程度の大きさになってくれれば支障はないので、無くそうと厳しい努力をする必要はないな~と楽に考えられるようになったのも、収穫かも。
 
三年で随分楽になりました(*^^*)
この調子で進んでいければいいな~と思います。