シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

余計なお世話

他人の人生・生活を評価したり、心配したりするのは余計なお世話
 
うまの合わない同僚に対しても、例外ではないな、と昨日実感しました。
 
新シフトが決まらないし、夜出勤を社長に頼まれたり、夜シフトの募集広告が出たり(だからと言って、条件の合う人が応募してくるとは限らない)、うまの合わない同僚にとって落ち着かないのは分かります。
 
やり方は全く気に入らないけど、本人は不安で、ストレス感じて、必死なのかな~と
少しでも同情的に考える努力をしていました。
が、余計なお世話というか、過剰な思いやりのようです。
 
本人は、(自覚はないでしょうが)この不安定な状況を心配して騒ぐのが楽しくて仕方ないようです。
目の前の具体的な心配事を騒いでいれば、自分の心の奥底の懸案事項と向き合わなくて済みますから・・・
    これは、もちろん、私の勝手な想像で、うまの合わない同僚からすれば、
                            無礼な決め付け以外の何ものでもないでしょう。
 
 
6月終わりからフルタイムになる予定の人が、日帰り検査入院をする、と分かって
(この方には、日常生活には支障はないけれど、経過観察が必要な持病があります)
 
「検査結果が悪かったら、フルタイム勤務の話もなくなるんじゃないか。」
「検査の日の夜、裏店長が用事で電話したら、体調が悪いと言っていた。
  (単に検査の疲れと、検査で使われた薬のせいでぐったりしていただけ)」 と大騒ぎ。
 
職場で騒ぐのはまだ分かるのですが、裏店長によると、
 「心配のあまり、うまの合わない同僚は、フルタイム勤務の話がなくなるんじゃないかと
  私に電話で相談してきたのよね~。」   とのこと。
 
あぁ、心配したり、不安になったり、最悪を想定して騒いで周囲を巻き込んだりするのが
好きなのね。
イヤといいつつ、それに耽溺しているのね。
 
不安がなくなるように手伝っても、またすぐに新しい不安の種を見つけて騒がないと落ち着かないのね。
不安や不満一杯が「定常状態」なので、不愉快と言いつつ、今のままがいいのね。
 
モラハラ店長がいたときも、よくネタが尽きないものだと思うほど、毎回不満で一杯だったものな~
 
これは、虐待になれすぎると、虐待されるのはイヤなのに、虐待されていないと落ち着かなくなる恐ろしい「慣れ」と同じ?
虐待されない状態にどう対応していいかわからないので、慣れ親しんだ状況に身をおこうとする。
うまの合わない同僚は、不安感や不満感がお友達なんですね。
不満や不安を訴えるのは彼女の娯楽なんですね。
 
私がこう思うのも、つい、こういう視点で見てしまうからかもしれません。
間違っていてもいいです。
私自身が納得できる理屈をつけて、うまの合わない同僚をやり過ごせるようになればそれでいいから。
職場で私の解釈を言いふらすわけではないから。
 
 
彼女が愚痴を始めたら、「あぁ、あなたにとっては楽しい娯楽の時間なのね。」と思えそうです。