やっと子供のときの自分の感覚を取り戻したことがあります。
母親から監視されて生活していたな~という、そのプレッシャーの体感です。
自分の記憶から、監視下生活だったことは分かっていますが、当時、自分がどう感じていたかは思い出せていませんでした。
監視カメラで24時間チェックされ、その時の母親の気分で批判されていた・・・そのプレッシャーをずーっと感じていたことを思い出しました。
私だけに非がないことで私が困っても、
「お前の対応が悪いからだ。」
と責められるだけで、助けてはもらえないことも身にしみて分かっていました。
家庭の外は、孤立無援で立ち向かわなくてはならず、
家庭内では、母親の監視可にあって、いつ批判されるか分からない状態。
批判されて反論しても、「お前はこう思っているのだろう。」と決め付けられるか、無視されるかで、自分の説明が採用されることは殆どありませんでした。
楽しいことがあっても、それは牢獄内での娯楽に過ぎない。
批判されないこともありましたが、それは単に母親の基準内だっただけで、私を尊重してのことではない。
どの家でも、「しつけ」として”理不尽な批判”はあるでしょうが、
親の基準が偏狭だと、子供も自分をゆがめて対応するしかありません。
(父親は論外。基本的に関心がなく、酔っ払って嘲笑するのが関の山)
で、出来上がった「私を困らせる”わたし”」はこんなでした。
・自分の気持ちや都合より、相手を優先しなくてはいけないと思い込みがあり、
反射的に相手の言いなりになってしまう。
・他者の批判を怖れるあまり、すぐにプチパニックになる。
現実には、「そこまで私をチェックして、いちいち批判する人、普通いないよ」というレベルで
恐がって、不安になる。
・自分に過酷な基準を強いる。
一汁三菜手作り料理でないと、”料理をしている”とは言えない
家の中に、埃が溜まっている場所があってはならない
使わないのに処分していないもの・・・は、所有物の1割以下でないといけない
メールや手紙にはすぐに返事を書かなくてはいけない
スケジュールに関係なく、家事はきちんとやらなくてはいけない
頑張りすぎて疲れて、体調を崩すなんてダメ
もちろん、ここにあげた「基準」は何一つクリアできていません。
全てを継続してクリアできる人なんでいないでしょう。
でも、自分はちゃんと生活も出来ないダメ人間ってことになる。
批判しようと思えば、どんなことでもケチはつけられるのです。
それなのに、ただ親の批判・嘲笑を恐れ、批判されないように、完全主義になり、親に合わせるようになり、
この世は「助けてはくれず、批判だけする冷たい人たち」ばかりの世界
ということになる。
そうすると、ますます完璧を目指すしかなくなっていった・・・みたいです。
取り戻したあの感覚・・・
24時間監視カメラで見張られて、母親の気分で批判されることも度々。
家でも外でも緊張状態で、心から安心できる”場”がなかった日々。
自分でも、よく壊れずに生き延びてきたな~と思います。
子供のときの自分に、よく頑張ったねって言いたい。