気持ちの整理は・・・パズルのピースがばらばらになっている感じです。
自分が、親の精神的虐待の後遺症を引きずっているのは自覚しています。怒ってます。
親なりに一生懸命生きていたのも知っています。
Hさん(父)は、あんな父親(祖父)だったら、「虐待されて育った」と言っていい。
親のようになりたくないと頑張って、この程度だったのでしょう。
コミュニケーション能力の欠如も、虐待の後遺症なんだと思います。
Yさん(母)は、育ちについては良く分かりませんが、あんなモラハラ夫と生活していたら、
気持ちもささくれて、(もともとあったかもしれない)思いやりも、枯れ果てるのも納得。
モラハラ夫と生活するには、自分を攻撃して病気になるか、
他者(子供)を攻撃(過干渉と嘲笑)するか。
Yさんは、無意識に子供への過干渉・嘲笑を選んだようです。
親に、優しい気持ちがあったのも思い出しますが、
嘲笑されたことも更に多く思い出して苦しくなります。
道行く子供たちを見て思います。
私はこんなよちよち歩きの時から、Hさんの機嫌を取る為に、毎日帰宅したHさんを
駆け出して迎えていたんだ・・・
私は、自分のことでいっぱいいっぱいの中学生の時期に、父親の浮気話やら、舅・姑の悪口 やら、散々聞かされていたんだ・・・
自分が不安だから「完璧であれ」と言うYさんに憑依されて、学校で更にいい子でいようとして いたんだ・・・
自分の過去を思い出すとき、「あの時はある程度大人だったし・・・」と親側に立って言い訳してしまうけど、道行く子供たちを見ながら考えると分かります。
少なくとも、高校生までは、精神的には、親のサポートを受ける側で、サポートする側じゃない。自分と向き合って、自分を育てる時期だよな・・・って。
自分にはそれがなかった。少なくとも、大幅に不足していた。
彼らと楽しい思い出があっても、彼らの虐待も事実。
DV被害者が、加害者から離れようとする時のジレンマ。「優しい時もあった」
まだまだこれに捕まっているみたいです。
・彼らにはあれが限界だった
・彼らにもやさしいときはあった
・楽しい家族の思い出もある
・人間年を取ると気持ちも弱るのでサポートが必要
・気持ちを無視・嘲笑されて、苦しかった
・自分が望んで生まれてきたわけじゃない、と
子供のときから思うほど生きるのが苦しかった
・何かあれば、今も昔も、彼らは平気で私を見捨てる
・接触すれば、嫌な思いをするのは確実
・彼らは変わらない
・私の生き辛さの多くが、彼らの虐待が原因
色々な思いがばらばらに散らばっていて、まだまとまりません。
その時がくれば、一つに収束するんだろうか・・・ いつなんだろう?
ばらばらの気持ちを抱えたまま、それでも、「彼らと距離を取る」を堅持して、
ときどき罪悪感を感じながら生きていく・・・のかもしれない。