シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

一歩進んだ手応え

先日、頭のあざの一種を取る手術を受けました。
 
この通院経験で、「少しは生き易くなっているな~」と思えました(*^^*)
不要な緊張や自己否定はなく、いつもの自分でいられました。すごく楽~
スタッフの親切をそのままありがたく受け取ることが出来て、リラックスしていられました。
 
 
病院に対してそう思う必要は全くないのですが、相手に嫌われたら、手抜き治療されて被害を受けるかも・・・と心配で、ご機嫌を取らなきゃいけないという思い込みがありました。
(以前は意識すらしていなかったのですが、病院ではいつもすっごく緊張!でした)
 
医者が、「この治療法で行きましょう」と言ったら、
自分には拒否権がないとか、
詳しい説明を求める権利もないとか、
考える時間を持つ権利もないとか・・・
普通に受診しているつもりでも、何かケチをつけられる(くどくどうるさい患者だ、とか・・・)
もう、冷静に考えるとありえない被害妄想や不安の固まりになってしまうのです。
 
これは、親子関係の名残。
親に嫌われ、養育を拒否されたら、子供は死ぬしかありません。
だから、親に捨てられないように、必死で機嫌を取って親に合わせてきました。
今思うと、3歳ごろには親のご機嫌取っていたし、邪険にされてもぐっと涙をこらえていた記憶があります
この歪んだ関係が、「上下関係」の時、蘇るのです。
 
職場の上下関係ではこれほどひどくありませんでした。
職場が辛ければ、辞めればいい。心の傷も、軽いうちなら時間が直してくれる。
たぶん、医療の延長には生死が横たわっているからでしょう。
相手に嫌われて、ちゃんとした治療を受けられなかったら、後遺症に一生苦しむ場合もある。
その恐怖が、親子関係からくる”見捨てられたら死ぬ"恐怖と結びつくのかな。
 
 
今回は、自分でもビックリするほど大丈夫でした。
最初に手術を勧められたときも、日帰りでOKか、放置するとどうなるのかなど冷静に必要なことを質問できました。
 
日帰り手術が出来て、傷跡が必ず大きくなってしまうのでなければ、手術を受けようと思って再受診。
その時も落ち着いて疑問点は確認し、決断できました。
細かいところにこだわる私に、詳しく説明してくれましたし。
 
以前なら、「こんなことをくどくど聞いて、医者は面倒臭がらないかな?」とか、心配がベースにあるので一人でパニックになっていました。
 
手術の時も、案内の看護師さんが、「緊張してます?」とか気を遣って話しかけてくれるのを素直に、ありがたく受け取って、おしゃべりしながら移動。
手術中も、不必要に遠慮・我慢せずにいられました。(手術の緊張はありましたが)
 
ドクターも、看護師さんや受付スタッフも、普通に「一人の患者さん」として遇してくれて、
こんな当たり前の状態を素直に受け取るだけで、
こんなに楽でいられるんだぁ~  と新発見
 
いい経験になりました。
 
 
 
      と同時に、自分が子供のときからどれだけ精神的に彼らから虐げられてきたのか・・・
      また再認識、でもありました。
      
      2年半前、私が半年以上微熱で辛い話を電話の脇で聞きつけて、
      嬉々として電話口に出た父親。
      「なぁ~んね、お前は! 体調が悪いらしいやないか!」
      と本当に嬉しそうに、嘲笑したあの口調が耳に残っています。
 
      「批判されたくなければ耳に入れなければいい」と言われ体調不良を黙っていたら、
      「何も言わんけん、直ったと思っとったよ」
      と笑う母親。
 
 病気がちのACの中には、「病気の時だけは親が優しかったから」の人もいるそうですが、
私は違うな~
原因が心理的なものでも、「かまってもらえるから」じゃない。
病気になると、自己管理が悪い、気持ちが弱って優しくされたい=甘えてる だったし。
苛められる方が圧倒的に多かった。
 
少しずつ回復しているて応えがあるのはとっても嬉しいですが、
彼らに虐げられた悲しい思い出から卒業は出来ていません・・・