今読んでいる仏教本の影響で、捨てることへの罪悪感が更にぐっと減り、
捨てにくかった物の処分も始まりました。
・小学生の時に作ったフェルトの雛人形フルセット
・小学生の時に初めて刺した刺繍のクッションカバー
・大学生の時に暇つぶしに刺して放置していたクッションカバー(ステッチ済み・仕立て前)
「過去の遺物」そのものです(^^;
・わんこの服でサイズが合わない物
・頂き物のわんこの首輪・リードなど(好みでないし、リードと首輪のセットでないので使わない)
・わんこのおやつガム わんこに合わず、吐いたのであげなくなった残り
・本・まんがあれこれ
アマゾンに出品したり、古本屋送付用箱に移したり。
・はぎれ布
使わないものは目についた時にゴミ箱へ
・服
1シーズン着なかった物は寄付用箱へ
柄が好きだけどサイズがいまいち合わない、とか、
手触りは好きだけど重くて出番なし、とか、
気に入っている部分もあって処分保留だった服も手放す方向で。
この仏教関連本に、物減らしを推奨する記述はないのですが、
全ては無常である(刻々と変化している)
をテーマにした部分があって、
自分自身も周りの状況もどんどん変化していることは納得できる。
既に「過去の遺物」になってしまったものに執着して、保存して何の意味があるんだろう?
今の自分にとって意味があるもの、
予想できる範囲の未来(食品なら数日分、服ならせいぜい1年分)に必要なもの、
今の自分が好きなものを、使うために保存するなら意味はあるけど。
と、これまで色々な片付け本に書かれていて、そうだよな~と思うだけだったことが、
すーっと自分の中に入ってきて、自分の一部になった感じです。
旅をする場合、冬に海辺を行くなら、それにふさわしい服装や装備があります。
夏山越えをするなら、それに必要な服装や装備があります。
海辺を歩いた時に心打たれた貝殻をしばらく持ち歩くのはいいかもしれません。
その時の気持ちが蘇って、元気がもらえるから。
でも、その貝殻からエネルギーをもらい尽くしたら、素直にさよならしないと、
荷物は増えていく一方です。
荷物が重くなりすぎては、旅は続けられません。
以前から情報としては頭に入っていた物減らしに必要な基本姿勢を、
やっと心から納得して受け入れられた気がします。
先日、間違えて写真のファイルを消去してしまいました。
お気に入りのわんこの写真も数枚その中に。
でも、「まぁ、仕方ないね。」と、ファイル復活は敢えてしませんでした。
それでも生活に全く支障はないし、逆に「あそこにある写真データを整理しないとな」と心に引っかかっていた仕事が一つへって楽になりました。
少ないことはいいことだ
これが続いて、物の処分が進むといいな~