私は、「他愛もない世間話」な付き合いはちょっぴりで十分みたいです。
世間話や情報交換な付き合いは少しでいいと気付きました。
好感を持っている人と、1時間くらいおしゃべりしました。
それはそれで楽しいし、気分転換にはなるけど、気疲れもある。
たまにでいいかな、という感じでした。
誰とも話さないでいると寂しくなりますが、実際には、一人でいる方がすきなのかも。
気分転換にはなるけど、話した後で、自分の救いに繋がる感じがしないと、
「時間やエネルギーに見合う、”得るもの”がなかった」 と感じてしまいます。
軽い付き合いの人には、重いかな?と話せないこと・・・
最近気になっている仏教的なアプローチ
自分に合った生き方の模索
とか、こういうことこそ他の人の考えを聞いてみたい。
(余程親しくないと、こういう話題を振られても相手が困るのは私にも分かりますが。)
付き合いが深まって親しくなれば、こういう話も出来るかな?と思える人も少ないので、
付き合いを深めてたいと思える人との出会いも少ないです。
深く考えると、放置していた人生の難題に突き当たる予感がするため、
触れないようにしているからか(これも大切な生き残りの方策だと思います。)
立ち止まる暇もないからか、
一定以上親しくならないようにしているから本音が出ないのか、
そもそも、あれこれ考える必要がないからか(究極の目指す姿です)、
理由は分かりませんが、親しくなっても、表面的な無難な付き合いで終わりそうな人が多いです。
それなら、本を読んだり、ネット上でつぶやいている人の記事を読むほうがいい。
私はぐるぐる考えるのが好きだからなんでしょうね。
私が付き合いたい相手は、
私のぐるぐるしている考えを話せて、相手の試行錯誤も聞かせてもらえる人
一緒にいるだけで、学ぶことがある人
同じ目的のために協力できる人
仕事もない日は、夫以外と話さず一日終わることもあります。
微妙にストレスも溜まりますが、だからと言って、軽い話が出来る人に声をかけて世間話、は私には合わないようで。
この少し寂しい感じと共に生きていくのが自分には合っているみたいです。