シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

服喪追悼を終えたなら

こちらも、「心的外傷と回復」から
 
生存者が外傷的事件の服喪追悼を終えたならば、生存者は加害者が自分にとって何とつまらない人間になったか、奴がどんな運命を辿ろうともそれに対する自分の関心がいかに薄いかに気付いてびっくりするかもしれない。
 
加害者を気の毒に思ったり、彼に同情を感じることはあっても、これはかかわりが解けた人に対する感情であって、許しと同じではない。
 
今、私はこんな感じです。
あれだけ腹を立て、怒りまくり、あるいは哀しく惨めな気持ちになってへこんでいたのに、
今は不思議なくらい彼らのことはどうでもいい。
 
今年の夏は、海外旅行先の交通事故で亡くなる方が多かったです。
「自分の親も、こんな風に消えてくれたら」と自分は思ってる?と恐る恐る心を覗き込み、
そこまでは考えていない自分を見つけてホッとしたのが懐かしいです。
 
かれらが、高齢者を狙った詐欺に引っかかって、全財産失おうが、どうでもいい。
かれらが、兄と和解し、姉とも仲良く「家族」して、楽しい老後を送ろうが、どうでもいい。  (絶縁を続けるか決めるのは私だし、私が再び付き合いたいと近寄った時、彼らに拒否されたら、それは自分の行動の結果だと諦めと共に受け入れるしかない)
 
何年も彼らに囚われてぐるぐると悩んできたので、
じぶんでも、本当にどうでも良くなったのか半信半疑でした。
 
どうやら大丈夫なようです(^-^)
 
次のステップに進んでいい。 この本にもそう言ってもらえたようで、心強いです。