許し も、私にとっては一つのテーマです。
ACからの回復本の中にも、許すワークが入っているもの、
許すことを推奨するもの も結構あります。
私自身は、
彼らが親(年長者)としてのプライドから、はっきり謝らなくても、それは我慢する。
でも、自分達の言動にまずいところがあった、というレベルでもいいので、
自分たちの非に気付くこと。
私を尊重するよう努力していることを感じられなければ、許すなどありえないし、
許す必要もないと思っています。
単に、「許す努力をしましょう」と訴える部分には、全く賛同できません。
親(加害者)が、彼らなりに一生懸命だったこと
彼らなりの葛藤や苦しみがあって、私にああいう言動をしてきたことは
彼らにも止められなかった・・・かもしれないこと
時代的に、気持ちの整理を始める手がかりに接する機会も
格段に少ないまま人生を歩んできたこと。
それは分かっています。
彼らなりの事情を理解し、気の毒と思うときもありますが、
それは私が自分の被害を横に置いて彼らを許すのとは全く別。
彼らは、事情はどうであれ、自分達の言動の結果を引き受けなくてはなりません。
被害者である私に、寛容を求めるのはお門違いです。
この考えを後押ししてくれる本もあります。(毒になる親 など)
少しずつ読み進めている「心的外傷と回復」にも。
「神の許しでさえも、ほとんどすべての宗教体系をみれば、決して無条件ではない。
真の許しというものは、加害者の方が求めて、告白し、痛悔し、つぐないをするまではさずけたくてもさずけられない。」
うん、そうですよね(^-^)