シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

彼らの”理由” と ”目的”

    相手に分かってもらえなくても、自分が知っているからいい
 
と思えることがちらほら増えて、生きるのが少し楽になってきました。
 
生きるのを苦しくした原因の一つは、毒親の執拗な批判や嘲笑。
嘲笑されたり、批判されたりしたネタを改善(親の意向に沿うように)すれば、いやな思いをしなくて済むと頑張った結果、自分の気持ちを無視し続けることになり、
「生き苦しさ」になりました。
 
確かに親の意向に沿うようにすれば、そのネタではいやな思いをしなくてすみますが、
他のネタでまた苛められるだけ・・・
兄の絶縁後は、ひどくなる一方でした。
 
どうしてかな・・・と考えてみると・・・
     「苛めるのが目的」の相手の言い分を聞いても、無駄
                                          が私の結論です。
 
ある本で、こんなくだりがありました。
学生の娘、定期試験の後帰宅すると、
母「今日はどうだった?」
娘「まぁまぁできた」
母「あなたのできたは当てにならない」
 
翌日:
娘「できなかった」
母「私の言うとおりにちゃんと勉強しないからよ」
 
更に翌日:
娘「わからない」
母「自分のことなのに、分からないの!!」
 
この本の例でも、母親は娘にケチをつけるのが目的(無意識でしょうが)なので、
返事の内容は関係ないのです。
 
DV加害者が、何かと理由を付けて殴ったり、罵ったりするのも、理由を考えても意味がない。
自分の鬱憤を晴らすために、被害者を殴ったり罵ったりするのが目的なので、
加害者が理由に挙げたことを止めたり、改善したりしても、他の理由を付けられるだけ。
 
私と親の関係も、これと同じ。
 
彼らは私にけちをつけて蔑んだり、嘲笑するのが目的で接触してきていたのです。
ここ数年の親との会話を思い出すと、一方的に愚痴を聞かされるか、嘲笑されるか。
(姉の入院手伝いや、子育て手伝いにはお礼を言われたり、お小遣いくれたりはありましたけど。)
小遣いは、自分の優位性を示すためなんですけどね。
 (これも無意識。経済力を誇示して自分の優位性を確保しようとするのは毒親の常套
 手段だそうで。ケチで子どもにたかるか、横柄に金品を恵むかどちらかになりがちとか)
 
いけにえに選ばれた私はたまったものではありません。
 
いちいち内容を考えて、自分が悪いのかな??と不安になったりしていましたが、
全くの無駄な努力でした。
 
親以外との関係を振り返っても-
モモちゃんママも、私と話しているときの基本姿勢が”嘲笑”の時がありました。
上から目線と言いますか、
会話の内容に関係なく、嘲笑されたことあったな~と今になって気づきます。
 
昨日、モモちゃんママと大まかに言うと同年代の方とお茶して、改めて実感です。
年上だから、年下の私を低く見るのも仕方ないのかな?
と自分を騙したりしましたが、違うんですよね。
 
その人の人柄の問題。
何かその人なりに辛いことがあって、誰かを蔑む形で鬱憤を晴らす性格なのでしょう。
私が過剰な自責に囚われて、鬱鬱する癖があるのと同じ。
ターゲットに選ばれた者は、加害者から遠ざかるしかありません。
(最近は、モモちゃんママを見かけても、遠くから挨拶するだけにして、近寄らないようにしています)
 
彼らの言葉に囚われるのはまったくの無意味(内容のない因縁付けにすぎないから)
自分の気持ちに従っていけばいいのです。