今読んでいる本に、
”普通の人”なんていない。Aさんがいて、Bさんがいて、Cさんがいるだけ・・・
という意味のくだりがありました。
うんうん、そうだよね~
私は、いつも自分の頑張りが足りないと自己評価が低かったです。
例えば「夕食を作るか」
普通の主婦(専業主婦や、週に数日・短時間勤務のパート主婦)は、作ると思っていました。
確かに、パート先の同僚主婦達に聞くと、仕事の日に夕食を作らないのは
9人中、私と裏店長だけ。
裏店長は、家族に「料理が下手だから、作らないで」と言われているそうで、
各自全食セルフサービス。自炊の時も、各自材料は自分で買って来て作る徹底ぶり。
食事については珍しいご家庭です。
仕事で疲れたからって、食事作らないなんて、やっぱり私はダメ主婦?って思ってしまう。
「なぁ~んね、あんたは。ちゃんとごはんくらい作らな!」という親の呪いの叫びまで聞こえてきます。
冷静に振り返れば、確かに母は夕食はちゃんと用意していました。
でも、それは父がうるさいから。
夏休みの昼食は「毎日パンだけ」「連日ホットケーキ」なんてこともざら。
栄養バランスも何もあったもんじゃない。
手を抜けるところは抜いて、上手くやっていたのです。
パート先でも、「仕事の日に、夕食作って、わんこの散歩にもいつもどおり行く人」にすると、いません。
わんこを飼っている人・いた人は他にもいますが、散歩は別の家族担当だったり、わんこが行きたがってもさぼったり。
飼い主仲間で考えても、わんこの散歩に気合いが入っている人は、専業主婦だったり、定年退職後のお父さんだったり。
フルタイムで働いていてもちゃんとお世話している人は、独身で家事が少なかったり、自炊を放棄したり、小型犬で必要散歩量が少なかったり。
それぞれ工夫してやっているようです。
私のように、「仕事の日も、用事で出かけた日も、ちゃんと朝晩1時間は自分が散歩に行く&主婦で家事もある&パートとはいえ働いている人&持病(?)ありの半病人」となると、知っている範囲では殆どいません。
何だ、私、夕食作れない日はあるけど、わんこの世話だけは、頑張っているじゃないの!
またここで、「自分で好きで飼ったんでしょう。 大変なら、運動が少なくていい種類にすればよかったのに。」と親の呪いの声が聞こえてきます。
呪いの声も一つの事実ではありますが、自分で選んだこと(運動が必要な種類のわんこを迎えたこと)の責任をちゃんと取っているのは、評価して良い。
今、もう一つの呪いに気付きました。
こうやって、自分が頑張っていることは、頑張っているよね、と評価して自身を持つこと
= 比較した他者を低く見て、傲慢になること
こんな後ろめたさがある自分に気付きました。
自分に自信を持つことと、相手を貶めてバカにすることは違うはず。
親が、そうだったからですね・・・
親は、他人を馬鹿にして自分を高め、自己評価を保っていましたから。
自分は自分、他人は他人だけど、
客観的に見て、自分が知っている多くの人たちより、この点は、自分もなかなかがんばっているじゃないか。うん、いいぞ、自分。
私はこういう感覚です。親とは違う。
「周りはやってない人ばっかり~」→「ちゃんとやっている私は偉い。周りはダメな奴ら」こういう思考回路ではありません。
自分の頑張りをなかなか素直に認められなかったのは、
親が他人を馬鹿にするせいもあったのですね。
私は、
親のように簡単に他人を低く見てバカにしたりしたくない。
それぞれの事情ややり方があるのだから
→ 他人と比べて自信を持つのは悪いこと
(他者とまったく比較せずに、自分はOKとは思えないので・・・)
と無意識に思い込んでいたみたいです。
こんな思い込みは捨てよう。
細かい条件の違う人と自分を比べて凹むのはやめよう。